全日本吹奏楽コンクールでは約5千人の観客でいつも満席に。ステージの床は黒く、出演者の顔が映えると好評だった(2010年10月撮影) (c)朝日新聞社 @@写禁
全日本吹奏楽コンクールでは約5千人の観客でいつも満席に。ステージの床は黒く、出演者の顔が映えると好評だった(2010年10月撮影) (c)朝日新聞社 @@写禁
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外観は二つの円柱を重ねたような独特のデザイン (c)朝日新聞社 @@写禁
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「吹奏楽の甲子園」と親しまれてきた普門館がもう使えない。「爆音」を育んできた巨大ホールが消えて、吹奏楽はどう変わる?

 東京メトロの方南町駅(東京都杉並区)を降りて、環状七号線を北に進んでいくと、住宅街の一角に突如、圧倒的な存在感を放つ巨大な建物が現れる。吹奏楽の「聖地」、普門館だ。長年、全日本コンクールの中学、高校の部が開かれ、毎年約50万人の生徒たちがこの地を目指して練習に励んできた。だが、このホールにその音色が響くことは、二度とない。所有する宗教法人「立正佼成会」が耐震改修や建て直しを断念したのだ。

 1970年に完成した普門館は、客席は5082と国内最大級で、駐車場も大型バスが45台止められる広さ。全国から集まる吹奏楽部員を一度に収容できる貴重なホールとして、72年以降、全国大会の会場に定着。全国の吹奏楽部員のあこがれの地となった。

 東日本大震災を受けて耐震性を調べたところ、高さ約23メートルの天井に崩落の危険があることがわかり、2012年5月に使用停止に。教団側は建て替えも検討していたが、ホールのある地区が建設当時の「準工業地域」から「第1種中高層住居専用地域」へと変更されたため、建築基準法の規制で同規模のホールが建てられないことが分かり、断念した。

 この普門館、もともとコンサート専用ホールとして建てられたものではなく、あまりに巨大なため、演奏者たちは他のホールよりも音量は大きめに、音は長めに、と意識する。09年と13年に全日本コンクールの審査員を務めた指揮者の小林恵子さん(39)はこう指摘する。

「このところ、普門館を鳴らそうと、音楽性や音色よりも、迫力や音量ばかり追い求める学校が増え、『爆音系』が主流になってきた印象があります」

 普門館が使用停止になった12年以降、コンクールは、3千人を収容する名古屋国際会議場センチュリーホールで開かれている。昨年は、普門館仕様の演奏で臨み、音のバランスが崩れ、思ったような結果を出せなかった学校もあったが、今年は少し変化が見られた。

「今年のコンクールを審査していて、爆音系が減ったと感じました。会場が普門館じゃなくなったのも影響していると思います」(小林さん)

 一方、普門館を「コンクールにとって最高のホールだった」と評するのは、普門館で審査員を務めた経験があり、昨年まで35年間、普門館を拠点とする東京佼成ウインドオーケストラでトロンボーン奏者として活躍した萩谷克己さん(61)だ。

「舞台が広く、反響板まで距離があるため、セッティング(楽器の配置)による有利不利が出にくい」

 名古屋は普門館と比べて狭いため、特にシンバルやドラなど打楽器の大きさのバランスを取るのが難しく、初出場の団体は予想もしない演奏となってしまう可能性もあるという。

AERA  2013年12月16日号より抜粋