人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は「豪栄道のやせ我慢」。
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久しぶりにすっきりした顔をしていた。引退会見での吹っ切れたようなすがすがしさ。どんなに内心悩んだことだろう。何にもいわないから伝わって来なかっただけだ。
大相撲の豪栄道が引退した。私はずっと豪栄道のファンだった。きっかけは何だったか忘れたが、まず名前が好きだった。豪栄道豪太郎、この上なく強そうな名前ではないか。
それなのに、まわりから優勝や大関さらに横綱を期待されるとポロポロ負けた。その負けっぷりが面白いのだ。解説の北の富士さんや舞の海さんは、初日は毎場所と言っていいほど優勝候補に豪栄道の名を挙げた。
稽古ではいつでも圧倒的に強いのだという。せっかく期待されて大関になったのに、カド番をようやくしのいで、次につなぐということが何回あったか。北の富士さんもあきれ顔だった。それなのにカド番から全勝優勝をさっそうとやって見せてくれる。その不安定さが好きだ。よくも悪くも期待を裏切ってくれる。
彼の一番だけはテレビの前で応援するのだが、そんな時は必ず負ける。
全勝優勝の時は、私が海外に出かけている最中だったので、私が見ていない方が勝つのだとゲンをかついで、それから彼の出番だけはわざと席を外して見ないようにした。ファン気質とはそんなものだ。
豪栄道は時々困ったような表情を見せる。自信に満ち溢れているというよりは、心の迷いがふと表情に出る。何ともいえぬ人間としての可愛らしさを感じてしまう。
私は父が好きだったせいで、子供の頃から大相撲に親しんでいた。大阪に父が転勤した時、桟敷席に連れてゆかれて、遠くから横綱照国を見た。そのピンク色の肌の美しかったこと!
長じてNHK時代には、栃錦のファンだった。あの速攻と知能派相撲。栃若戦でもだんぜん栃錦だった。
入局してすぐ名古屋に転勤し、名古屋場所の金山体育館では、女子としてはじめて力士にインタビューすることもできた。