

気になる人物の1週間に着目する「この人の1 週間」。今回は歌手の加藤登紀子さん。歌手生活55年目。たくさんの曲が私たちの心にしみ込んでいる。ハルビン、結婚、出産、旅、数え切れない出会いと別れ。生きることの哀歓を知り抜いた“おときさん”。多彩な魅力は色あせない。
* * *
歌い続けてきた。
東大在学中にデビューし、6年後に獄中にいた学生運動の闘士と結ばれた。そのとき、長女はおなかにいた。激動のソ連で、生まれ故郷の大陸で、地平線がどこまでも続くモンゴルで、歌を通して人々と出会った。来年で歌手生活55年。
「過ぎてみれば、あっという間ね」
そう笑う加藤さんだが、もうやめよう、と思ったことがある。結婚と妊娠……歌手活動の休業を発表した頃。47年前の夏。
「私の相手が刑務所の中にいることで、世間の批判を浴びるかもしれない。子どもが生まれたら、はたして歌手を続けられるのか。まっさらな気持ちで、また新しい人生を始めようと覚悟していました。だけど、最後のつもりで開いた1972年7月の日比谷野外音楽堂でのコンサートで、初めて私は、私の歌を聞いてくれているお客さんの顔がはっきり見えたの」
こういう人たちが自分の歌を聞いて、こんな顔で泣いている。ステージに上がってきて抱き合って、
「かわいい赤ちゃんを産んでね」
と言ってくれる。それまでは、どこか「歌手をやらされている」という気持ちがあった。このときの感動が「本当の意味で歌手にしてくれた」と言う。
「その前年の71年暮れに日劇ミュージックホールでやった『ほろ酔いコンサート』も、大きな出来事だったわね。ほろ酔いどころか、みんな泥酔よ(笑)。その年は『知床旅情』がヒットして紅白にも出してもらったけど、『お前はそんな表通りだけ歩いていちゃダメだ』と助言されて、ふだんはストリップをやっている、あの小さなホールで、飲みながらコンサートをやったの。お客さんとの距離が近い、なんてもんじゃない。みんなで歌って踊って、まるでお芝居の中にいるみたいだった」