「自分で強くなるためには何が必要かを考えて、行動に起こせるのが見延の強さ」

 と見延の母校・法政大の元監督で、日本フェンシング協会の強化委員長を務めたことがある斉田守は言う。

 特に、13年のイタリアでの修行は見延を大きく変えた。門をたたいたのは、北京五輪金メダルのマテオ・タリアローリが所属するクラブだ。日本での指導はフルーレをベースにしているため、エペではあり得ない動きをしている場合がある。そんな基礎から学び直し、最先端の技術を採り入れた。

 成果はさっそく出た。15年にはワールドカップ(W杯)タリン大会で、日本選手として初めて男子エペで優勝。16年リオデジャネイロ五輪にも出場し、日本選手で初めて同種目で6位に入賞した。そして、世界ランキング1位と階段を順調に上り、20年の東京五輪を迎えることになる。

 現在は、五輪本番のことを考えるよりも、11月から始まった東京五輪の出場権を獲得するレースのことで頭がいっぱいだ。

「まずは出場枠を取るためのプレーをしないといけない」

 視線の先にあるのは、個人戦だけではない。世界各地で行われるW杯の団体戦で結果を残し、日本男子エペ団体として64年東京五輪以来の五輪出場を狙う。

「世界ランキング1位はシーズンを通しての戦い方であって、五輪に勝つための戦い方とは違う」

 と分析している。大会にピークを合わせ、かつ相手に読まれにくいフェンシングをする必要がある。

 そのためには何が必要か。見延は言う。

「手探りだが、たぶん一つ言えるのは、自分の何かを壊していくこと」

 五輪出場が決まったあと、新たなスタイルを採り入れるのではなく、自分のスタイルを一回否定してみることが必要だという。それは賭けであり、勇気もいることだ。それでも迷いはない。

「五輪に出たところで、その日勝てるかどうかはふたを開けてみないとわからない。そのぐらい博打(ばくち)を打ったほうが、勝つ確率は上がる」

 世界1位を守るのではなく、攻める。それが見延の姿勢だ。

週刊朝日  2019年11月29日号