「こういうタイプのお客様は自分が優位に立っていると偉ぶれるけど、実は不意打ちに弱いのよ。だからかかってきた電話が苦手なの」
K藤さんは電話一つとっても、実は力関係というものが存在すると教えてくれた。そして電話で優位な立場に立てるのは電話をかける方なのだと。
たしかにクレームの電話はお客様からかかってくることが多い。その場合、相手はあらかじめ気持ちの準備ができているし、時間も余裕がある時にかけてきている。だから強気に出ることができる。
ところが一転して電話を受ける立場になると、その力関係は逆転する。
こちらは気持ちの準備と、クレームの内容、対処方法を用意した上で電話をしている。クレームの場合その場で電話を代わるのと、あとからかけ直すのは気持ちの優位性に歴然の差があるという。これがK藤さんがクレームをその場代わるのではなく、あえてかけ直しを指示していた理由だったのだ。
「かけ直しにするのにそんな意味があったんですか!!……でも」
と感心しきりだった私は、もう一つ持っていた疑問をぶつけてみた。
「なんですぐかけないんですか? ずいぶん時間を空けて電話をしてましたよね?」
すると彼女はこう答えた。
「人間ね、長く怒ってると疲れちゃうのよ。だから怒りって長続きしないの」
怒る、という行為はパワーを必要とする。だからお客様が怒り心頭で電話をかけてきたとしても、折り返しの電話を待っている間に怒り疲れてしまうのだ。もしくは、折り返しの電話がかかってきたころには相手の怒りもヒートダウンしている。だからK藤さんはあえて時間を空けてから電話をかけると言うのだ。
そんな彼女の話を聴いたとき、私の脳内には荒波に打たれる巌流島のイメージが浮かんでしまった。
あ、巌流島の決闘で佐々木小次郎は宮本武蔵に待たされて、イライラして負けたんだっけ? ……そうか、クレームも決闘も、必要なのは『余裕』だったのか!
「すみません。上司を出せって言われちゃって……ちょっと収められそうにないです」
今日も頑張ってクレーム対応をしてくれたオペレータさんが、疲れた様子で手をあげる。私は「うん、もちろん代わるよ。ただこっちからかけ直すから、お客様に折り返すって伝えてね」と在りし日のK藤さんと巌流島のイメージを思い浮かべながら、そうお願いしているのだ。