8月の全日本シニア選手権で、平均台の演技を終えてガッツポーズする村上茉愛  (c)朝日新聞社
8月の全日本シニア選手権で、平均台の演技を終えてガッツポーズする村上茉愛  (c)朝日新聞社
この記事の写真をすべて見る
父・仁さんと鉄棒の練習をする幼少期の村上茉愛=母・英子さん提供  (c)朝日新聞社
父・仁さんと鉄棒の練習をする幼少期の村上茉愛=母・英子さん提供  (c)朝日新聞社

 2020年東京五輪で活躍が期待される選手を紹介する連載「2020の肖像」。第5回は、18年11月の世界選手権(カタール・ドーハ)で個人総合銀メダルを獲得した村上茉愛(23)。「体操ニッポン」と言えば、世界で数々の金メダルを獲得した男子の歴史ばかりが語られる。だが、2020年東京五輪は女子にも注目だ。今年はケガに悩まされたエースが、五輪イヤーに復活を期す。朝日新聞社スポーツ部の山口史朗氏が、波乱の競技人生と五輪へ賭ける想いを聞いた。

【写真】父・仁さんと鉄棒の練習をする幼少期の村上茉愛選手

*  *  *

 村上に笑顔が戻ったのは、8月末の全日本シニア選手権だった。

「ここからがスタート、という演技ができた。来年に向けて頑張ろうと思える試合になった」

 2位に1.5点の大差をつけての優勝も、ワールドクラスの実力を持つ村上にしてみれば、驚きはない。結果的には、

「さらっと優勝して、さらっと帰りたい」

 という試合前日の言葉を有言実行する形となったが、ここまでの道のりは決して平坦(へいたん)ではなかった。

 天国と地獄。村上はこの1年で両方を味わった。

 昨年の世界選手権では個人総合の4種目をほぼノーミスで演じきり、この種目で日本人初となる銀メダルを獲得。種目別ゆかで、日本女子として63年ぶりの金メダルに輝いた17年世界選手権(カナダ・モントリオール)に続く快挙だった。

 さらなる飛躍を誓い、

「攻める」

 をテーマにした今年。4月の全日本個人総合選手権では2位とまずまずの出足だったが、5月のNHK杯で暗転した。

 大会の約1週間前に腰を痛めたのだ。痛み止めを打って強行出場するつもりだったが、当日の直前練習で痛みが強くなった。

「1年で一番大事な試合。出たいという気持ちしかなかった」

 涙を流しながら、腰に手を当て、棄権を決断。NHK杯の3連覇とともに、世界選手権代表も逃した。

 振り返れば、全日本選手権の前から、心身ともに乗りきれていなかった。

 この春、日体大を卒業し、企業の支援を受けながら活動することになった。練習拠点は変わらず日体大だが、授業がなく、学生のときとは違う練習のリズムに戸惑った。

次のページ