「一番は同期がいなくなってしまったこと。相談したり、気持ちをはき出したりする相手がいなくなって。同期のみんなが退寮した後が苦しかった」

 実際、全日本でも「気持ちを作りきれなかった」と認める。なんとなく、日々の疲れが抜けきらない。やはりというべきか、そんなときに襲ってきた、腰の痛みだった。

「ケガ」と「気持ちの沈み」。

 村上は体操人生で幾度となく、この二つと闘ってきた。

 体操を始めたのは物心がつく前のこと。四つ上の兄・雄人さん、二つ上の姉・美由紀さんに続き、次女の茉愛も、

「2歳から体操場にいた」

 兄と姉が通う体操スクールに保育園から直行する日々。スクールのコーチが父の仁さんという環境で、

「トランポリンでぴょんぴょん跳ねるのが好きだった」

 体操にのめり込むのも、自然の流れだった。

「おむつを替えていて、股関節が柔らかいなと。かけっこも速いし、つまずいても転ばない。身のこなしがいいなと思った」

 とは母の英子さん。期待通り、14歳で全日本種目別選手権のゆかで優勝するなど早くから頭角を現したが、そこからが我慢の日々だった。

 中学3年で左ひじを手術する大けがを負うと、高校生では体の変化に悩まされた。

 高校2年だった13年には世界選手権(ベルギー・アントワープ)の代表に初選出され、ゆかで4位に入る躍進を見せたものの、その後はプレッシャーと体重の増加で思うような結果が出せない。それどころか、練習にも集中して打ち込めない毎日が続いた。

 英子さんが振り返る。

「高校3年は、練習よりダイエットをする時間が長かったと思います。帰ってきたら、サウナスーツを着て走りに出る。ご飯も『食べない』って言う。そんな日々でした」

 ご飯は食べなくても、英子さんは村上の部屋のゴミ箱から、お菓子の包み紙を何度も見つけた。元々、甘い物が大好きな娘。「やせなさい」とか「食べるな」とは言えなかった。走りに出る村上に、「一緒に走ろう」と声をかけて寄り添った。30~40分間、隣で走ったり、歩いたり。

「逆に『大丈夫?』って心配されましたけどね」

 と笑う。

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