そもそも是枝監督にとってドヌーヴは、「オードリー・ヘプバーンやマリリン・モンローのようなアイコン的存在。特別な存在ではあるけど、(起用するのに)現実味のない役者だった」と言う。だが、

「あれだけ意欲的にいろんな作品に出て、いろんな監督と組んでいる役者はいない。常に新作を見て新しいことに取り組む意欲を持っている。彼女を主役に考えたのは物語の役にぴったりだったことはありますが、どうせ海外で撮るなら一番遠い相手と組んでみようかなと思ったんです。そのほうがドキドキするのではないかと思いました」

 そう、作品のクリエーティビティーを上げるには「冒険すること」が必要なのだ。是枝監督は「ここのところ自分に飽きていた」と振り返る。

「僕は自分で脚本を書いて編集も演出もしているから、書ける人間が似てくる。そうすると、ストーリーも似るし世界観も似てくるんです。自分の描ける世界がどんどん見えてきてしまう。新しい出会いがあったほうがまた新鮮な気持ちで映画に向き合えます。今回は撮影はフランス、言葉も違う。役者もみな初めてで技術陣もみな『初めまして』だったので、すごく新鮮で楽しめました」

 実際、ドヌーヴとの撮影はドキドキどころかハラハラが日常茶飯事だった。

 多くのフランスの映画関係者が「ドヌーヴはすごい女優」と実力を認める一方、「撮るには覚悟がいる」と言った。毎日何かしら理由をつけて遅刻してくる。機嫌が悪いと顔に出る。セリフが言えない時のための予防線を張る……。

 マルチェロ・マストロヤンニの娘が亡くなり葬式に出た翌日の撮影にやってきた時は、

「『昨日お葬式で寝られなかったからお酒と睡眠薬を飲んじゃって、まだ頭がぼーっとしてセリフが全然入ってないの』と本当に消え入りそうな声で言うんです。事あるごとに『昨晩寝られなかったのよね』『風邪気味で午前中に病院へ行って点滴を打ってきたの』と必ずそういう言い訳から入って、『だから今日はできないかも』と前振りをするんです。それが可愛いんですけど(笑)。しかもうまくお芝居ができると子どものようにうれしそうで」

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