『ポートレイト・イン・ジャズ』(Riverside)
『ポートレイト・イン・ジャズ』(Riverside)
この記事の写真をすべて見る
『ワルツ・フォー・デビイ+4』
『ワルツ・フォー・デビイ+4』
『カインド・オブ・ブルー+1』
『カインド・オブ・ブルー+1』
『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード+5』
『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード+5』
『エクスプロレイションズ』
『エクスプロレイションズ』

●入門者にも重症マニアにも楽しめるジャズ

 これからジャズを聴いてみようという人に、安心して薦められるミュージシャンがビル・エヴァンスだ。誰もが知っている名盤『ワルツ・フォー・デビイ』(Riverside)の1曲目《マイ・フーリッシュ・ハート》に、あからさまな拒絶反応を示した人には、まだお目にかかったことが無い。しかしそれだけに、ジャズという想像以上に奥深い音楽の、ごく浅い入り口だけで満足されてしまう危険もはらんでいる。

「ジャズ以外の音楽」ではごく当たり前に評価される「メロディの美しさ」のレベルで満足してしまい、その先にある、エヴァンスという一個のジャズマンの多彩な表現、業の深さにまで辿り着けない可能性があるのだ。いや、むしろ洒落たインテリアの玄関脇にある応接間で満足してしまい、本当に親しくなった人間だけが通される奥座敷の存在すら知らない訪問者のようなファンが大多数なのではなかろうか。

 まあこれはエヴァンスに限らず、「ジャズ」という実はけっこうわかりにくい音楽の宿命なのかもしれない。それにしても、存在自体がジャズのようなミュージシャンであるチャーリー・パーカーなどは、入り口からしてあたかも有刺鉄線を張り巡らしたトーチカ(ロシア語の軍事用語で防御陣地)のようにトンがっているので、そこを通り抜けた人はその事実だけでジャズの世界に参入してしまうことになり、まだ話はカンタンだ。

 それに比べ、エヴァンスの音楽は、導入部だけはクラシック、ポップスと地続きであるかのような錯覚をもたらすだけに、罪深いとも言える。つまり表現が重層的なのだ。通り一遍の音楽ファンのレベルでも楽しめ、カラダ全体にジャズの毒が回ってしまったような重症マニアでもシッカリ堪能できる重層構造をエヴァンスの音楽は持っている。

●エヴァンスへの入り方、私の場合

 では、どこからエヴァンスに入ればよいのか。私の場合は《枯葉》だった。アルバム『ポートレイト・イン・ジャズ』(Riverside)にステレオ・ヴァージョンとモノラル・ヴァージョンの2曲収録されているこの曲を聴いて、エヴァンスの凄み、ジャズの面白さに開眼した。

 もっと正確に言うと、当初はこのトラックが《枯葉》という有名なシャンソンを演奏しているということすら、ピンとこなかった。なにやらピアノの鍵盤に指が舞い踊っている印象ながら、その踊りのリズムがいやに心地よい。そこが端緒だった。そのうち、「ああ、《枯葉》じゃないか」と気づき、「それにしても、ジャズじゃこんなに変わってしまうんだなあ」などとノンキな感想を抱いたのを覚えている。

 そのうち、「この変わり方って、カッコいいじゃん」と感じるようになって、いわゆる「アドリブ」の面白さがわかるようになった。そうなると『ワルツ・フォー・デビー』の《マイ・フーリッシュ・ハート》も違って聴こえてくるようになるから不思議なものだ。まず、細部が聴き取れるようになる。冒頭、ピアノの鍵盤に指が触れる瞬間の震えるような感触がビシビシ伝わってくる。

 そうなると、もうメロディの美しさどころではなくなってくる。いや、美しさはそのままなのだけれど質が違う。言ってみれば、遠目ではよく出来た造花のように思えた花壇に近寄ったら、正真正銘の生花だったような倒錯した美だ。

●経歴と代表作

 最後に簡略な経歴紹介をしておこう。1929年ニューヨークの隣、ニュージャージー州に生れたウイリアム(ビル)・エヴァンスは、当初モダン・ジャズ・ピアノの開祖バド・パウエルや、白人流バップ・ピアノとも言うべきレニー・トリスターノの影響を受けた折衷的なスタイルだった。

 1958年マイルス・デイヴィスのグループに参加し一躍注目を浴びるが、この頃にはラベルやラフマニノフをマイルスに聴くよう薦めることで、エヴァンスがサイドマンを務めたマイルスの超有名盤『カインド・オブ・ブルー』(Columbia)のアイデアに寄与するまでになっている。

 代表作は今回紹介した『ポートレイト・イン・ジャズ』、そして『ワルツ・フォー・デビー』と同じ日のセッションである『サンディ・アット・ザ・ヴィレッジヴァンガード』、そして『エキスプロレーションズ』の4枚で、これらを吹き込まれたレーベルにちなんで「リヴァーサイド4部作」などとファンは称している。

 すべてベース奏者がスコット・ラファロで、これらの作品でエヴァンスはピアノ奏者とベーシスト、ドラマーが3者対等の立場で音楽を構築する新しいピアノ・トリオのスタイルを確立し、それは現代のピアノ・トリオにも引き継がれている。

【収録曲一覧】
『ポートレイト・イン・ジャズ』(Riverside)
1. 降っても晴れても
2. 枯葉(テイク1:ステレオ)
3. 枯葉(テイク2:モノラル)
4. ウィッチクラフト
5. ホエン・アイ・フォール・イン・ラヴ
6. ペリズ・スコープ
7. 恋とは何でしょう?
8. スプリング・イズ・ヒア
9. いつか王子様が
10. ブルー・イン・グリーン(テイク3)
11. ブルー・イン・グリーン(テイク2)

ビル・エヴァンス:Bill Evans (allmusic.comへリンクします)

→ピアノ奏者/1929年8月16日 - 1980年9月15日