TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回はある“ミュージシャン”が行った一夜限りのライブについて。
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俳優の佐野史郎さんから素敵な音楽のプレゼントをいただいた。
俳優、ではないな、ロック・シンガーの佐野さんからだ。彼と僕は吉祥寺仲間であり、娘さんと僕の息子が一時期バンドを組んでいたりと、近所付き合いをしているというわけだ。
佐野さんが開く一夜限りのライブのタイトルが「佐野史郎 meets SKYE(スカイ)with 松任谷正隆」(モーション・ブルー・ヨコハマ)。SKYEとは、元はっぴいえんどの鈴木茂さん(ギター)、元サディスティック・ミカ・バンドの小原礼さん(ベース)、そして元ティン・パン・アレーの林立夫さん(ドラム)が結成していた伝説のバンド。そこに今回、松任谷正隆さんが加わった。それがライブハウスで見られるのだ。
「いやはや、この前の紅白でユーミンのバックを務めたメンバーですよ」。ステージに現れた佐野さんが苦笑いしながらギターのシールドをアンプにつなぐと、林さんがスティックでカウントを取ってライブが始まった。
往時のバッファロー・スプリングフィールドばりに野太い鈴木さんのギターリフにリリックな正隆さんのキーボードが乗る。ステージのセンターに立つ佐野さんのボーカルも伸びやかだ。
渋谷の東急文化会館のプラネタリウム、芝のボウリング場、青山のスーパーマーケット・ユアーズ……。
はっぴいえんどが「ニューミュージック・マガジン」誌上で日本語ロック論争を巻き起こしたのは70年代初めだった。都市の憂鬱と高度成長の喪失感、彼らの演奏に日本のロックが青春だった頃を思い出した。
彼ら音楽少年は、官僚や銀行員の息子、骨董商や開業医の跡取りだったり、ブルジョワジーの子どもたちだった。
フェンダーのストラトキャスターやパールのドラムにローズ・ピアノを所有できるのは裕福な家庭の子弟だけ。青学、立教、慶應など私大付属高校に通う彼らはレコードを貸し借りし、FENで音楽を聴き、バンドを組んだ。