
俳優・小林薫にはこの10年の間に、芝居への向き合い方に変化があった。“キャラクターをつくる”という行為に対して、若い頃よりも、こだわりがなくなってきている自分に気づいたという。
「役者ですから、表現することの中には“役をつくる”要素も含まれていると思います。でも、あえて“つくらない”ことで見えてくるものもあるんじゃないか。60代になって、そんなことを考えるようになりました」
たとえば、“悲しい”という感情を、滂沱の涙を流すことで表現したからといって、「それが必ずしも見る側に伝わるわけではない」と小林さん。
「ものすごく悲しいとき、ついバカバカしいことをやってしまう人だっているはずで、見る人に、『そういうことってあるよね』とさりげなく感じてもらえるほうが、芝居としてはリアルだと思う。人間の内面は、複雑で奥深いもの。それがわかる年齢になったからには、わかりやすい演技をして、感情の押し付けになってしまうのは避けたい。頭の中であれこれイメージしながら感情をつくるのではなく、現場で自然に生まれるものを大事にしたいんです」
そう考えるきっかけをつくった作品がドラマ「深夜食堂」だ。2009年に放送が開始され、シリーズ化3回、映画化2回。中国、韓国でリメイク版も作られた。16年以降は「深夜食堂-Tokyo Stories-」としてNetflixで世界配信され、今秋、シーズン2(第5部)が配信になる。
「このドラマが成功した理由の一つは、美術と料理のリアリティーを徹底的に追求したことにもあると思います。プロデューサーが、演出を松岡錠司監督に依頼して、監督が、いつも映画で一緒にやっている一流のスタッフを連れてきた。予算やスケジュールのこともあって、本来なら、深夜ドラマなんて頼める人たちではないんです。でも、皆さん、『監督がそう言うなら、一肌脱ぎましょう』と言ってくれたらしい」
小林さんが演じているのは、新宿で夜12時から朝7時ごろまで営業する「めしや」のマスター。行き詰まりや葛藤を抱えた客たちは、この店で、温かい人や料理と出会うことで、心に明るさを取り戻していく。