半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
* * *
■横尾忠則「90年、80年生きた物語にこそ価値」
セトウチさん
往復書簡三便目です。さて、二人の長い交友関係なので、色んな話をと思うのですが、何から話していいのやら、ゴルフに行った話も屋島に行った時のことや、インド旅行のこと、後楽園のロックコンサートを観に行った日のこと、天台寺のことなど、まあ徐々に思い出す話をしたいと思いますが、編集部からは時事的な話も、という注文もありますが、いかにも週刊誌的な発想ですね。時事的な話は花火みたいなもので、パッと、ひと時は関心を持たれるが、われわれの往復書簡でのテーマではなさそーな気がしませんか。新聞やテレビは毎日のように時事問題を取り上げていて、普遍的なものは何もないように思います。
ここでは、むしろ90年、80年生きた人間の物語の時間、そして空間こそ価値あるもののように思います。この企画の発注者はジャーナリズムですから、日々移りゆく時勢への関心は当然だと思います。われわれ老境にある人間は、生とか死についてが現実で、二人がどう思っているか、それは何なのか、われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのか、というような、過去、現在、未来へと続く、この中での今という一瞬の生き方こそが重要ではないかと思うのですが、セトウチさんはどう思われますか。
「時事的な話を織り込む」ことは、得意ではないですが、しようと思えばできなくはないですが、話の賞味期限は非常に短いと思います。それよりも文学や芸術を二人の体験を通して語ることの方が、「生きてきた」または、あと残されたそう長くない時間をどう「生きるか」または、どう「死と向き合うか」というような話の方が、世の中のことを考える以前に考えなきゃいけないテーマではないでしょうか。