前回に続いて、1965年の日韓国交正常化がどのようにおこなわれたかを説明する。当時、日韓国交正常化の交渉内容が発表されると、植民地支配時代の侵略者・日本に対してまったく賠償を求めていない日韓条約に、韓国民は激怒し、「日本との屈辱外交に反対する全国民闘争委員会」が結成され、ソウル大学では多くの学生が断食闘争に突入するなど、反対の声が爆発的に韓国全土に広がった。
【写真】国連軍と北朝鮮軍による占拠、奪回の繰り返しで破壊されたソウル
当時の大統領・朴正熙(パク・チョンヒ)は、この世論に追いつめられたので、非常戒厳令を発布して、学生をはじめ1000人以上を逮捕し、内乱罪などで弾圧を続けて、反対の声を鎮圧したのだ。
このように軍事独裁者・朴正熙が戒厳令下に強権をふるって、韓国民の声を圧殺して日韓条約を締結したのだから、そもそも、ほとんどの韓国民は、日韓基本条約も請求権協定も認めていなかったのである。
そして昨年2018年10月30日に韓国最高裁の賠償命令判決が出された時点でも、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権の与党「共に民主党」だけでなく、与党の政策を支持する少数党「正義党」と、反対勢力であるほかの野党も含めて、韓国民のほぼ全員が、韓国最高裁の「賠償金支払い命令」判決を支持したのだから、判決は「韓国民の総意」であり、現在の論争の原因は文在寅政権の政策とは関係がなかった。
日本のテレビ報道界が叫んだ文在寅批判はまったくの見当違いであった。1965年から現在まで、韓国民の意見が変わっていないことは明白である。これまで日本と韓国の民衆は仲良くしていたが、こうして日本のテレビ報道界の恥ずべき間違いによって日韓関係が悪化したのである。
このような戦時中の賠償問題で日本と比較されるドイツでは、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領(当時)が、「過去に目を閉ざす者は、現在をも見ることができない」という格調高い演説をドイツ連邦議会でおこない、ドイツ人がナチス時代におこなった過去の行為について、被害国と被害者に対して誠実に謝罪し、賠償もし、国内法によってネオナチ的行為を禁止できるようにしてきた。その結果、ドイツに対する戦時中の批判はまったく起こっていない。