神奈川県の横浜拘置所で面会した植松聖被告
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植松聖被告が描いたイラスト
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 2016年7月、神奈川県相模原市の知的障がい者施設「津久井やまゆり園」で植松聖被告が入所者19人を殺害し、26人に重軽傷を負わせた事件から3年―-。

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 筆者は殺人罪などで起訴された植松被告と神奈川県横浜市の横浜拘置支所で面会。なぜ、犯行に及んだのか、胸の内を聞いてみた。

 事件当時は頭を金髪に染め上げ、検察庁に送検される際も不敵な笑みを浮かべていた植松被告。拘置所では一転して、面会室に入ると深々に頭を下げ、「遠くからご苦労様です」と感謝の意を述べた。金髪だった髪も黒くなり、印象が変わっていた。だが、持論は変っていなかった。

「拘置所生活が2年を超え、意思疎通がとれない人(重度の障がい者)が世の中に不要だという考えが深まっています」と話す植松被告。「基本は犯行声明に書いたのと、同じです」

 やまゆり園に勤務していたこともあった植松被告だが、犯行動機になった考えには今も変わりないというのだ。

「障がい者が不要だ、社会のためにならないという思いは小学生時代からありました。知的傷害がある女生徒を中学2年生の時、階段から突き落としたら、彼女の歯が折れてしまった。重傷でした。その時から、不要と強く思うようになった」

 植松被告は社会に出てから、重度の障がい者施設、やまゆり園で働くようになる。当初は、非常に真面目な勤務態度だったともいう。

「やまゆり園で仕事をするようになって、特別支援学校で仕事ができるように教員免許をとろうと思って勉強もしました。障がい者のことを深く知ろうとして勉強すると、(障がい者は)社会に貢献できない、お荷物だとより強く思うようになった」

 しかし、実際に19人もの命を奪うというのは、あまりに論理が飛躍する。植松被告が面会で何度か口にしたのは「犯行声明」の存在で、2016年2月に大島理森衆院議長に宛てたものだ。

そこには、<私は障がい者総勢470名を抹殺することができる><障がい者は人間としてではなく、動物として生活している><障がい者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます>などと綴っていた。

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反省の言葉を口にすることなく…