『Quartets』
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『ゲッツ/ジルベルト』
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『Sweet Rain』
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『Apasionado』
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『People Time』
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●複雑な人気の変遷

 白人テナー・サックス奏者、スタン・ゲッツのジャズ・ジャイアントとしての軌跡はけっこう複雑だ。人気の変遷と言ってもよいだろう。私がジャズを聴き始めた1960年代、スタン・ゲッツの位置付けは微妙なものだった。63年に録音された、ジョアン・ジルベルトとの共演盤『ゲッツ・ジルベルト』(Verve)による、ボサノヴァ・ブームに乗った人気はあったものの、時代の主役は50年代の大物テナー、ソニー・ロリンズをも通り越し、ジョン・コルトレーンの一人天下だった。

 だから、かつてスタン・ゲッツがスターだった頃の話は、先輩ジャズファンからの耳学問でしか伝わってこない。それによると、50年代のジャズ喫茶ではゲッツの人気はたいしたものだったというではないか。その話には必ず“クール・ジャズの巨人“という形容詞が付いていた。

●60年代のゲッツ

 そもそも、黒人ジャズが隆盛を極めた60年代シーンは白人というだけで分が悪く、ゲッツと同じく“クール・ジャズ”の一員とみなされたリー・コニッツにしろ、“ウエスト・コースト・ジャズ”のスターだった、アート・ペッパー、チェット・ベイカーなど、みな過去の人扱いだった。

 67年に人気アルバム『スイート・レイン』(Verve)が出たときも、リクエストは多かったが、サイドの新人チック・コリアに注目が集まるなど、必ずしもゲッツ人気が沸騰したわけではない。そして70年代に入ればマイルス・デイヴィス、ウエザー・リポートといったエレクトリック・ジャズ全盛で、ゲッツの存在は半ば忘れ去られていた。

●最晩年の評価

 こうした状況が80年代も続いたが、ゲッツ最晩年『アパショナード』(A&M)、『ピープル・タイム』(EmArcy)などのアルバムが出るに至って、やはりゲッツって凄いね、という声が高くなってきた。黒人ジャズ中心の偏向や、エレクトリック・ジャズの隆盛といった時代のバイアスがとれ、ゲッツの実力が正当に評価されるようになったのだ。

●ゲッツは、クール?

 改めて彼の演奏を時代を追って聴いてみれば、“クール・ジャズ”という言い方がしっくり来るのは40年代後半から50年代初頭にかけての一時期で、後はけっこうエネルギッシュに吹きまくっている。それにもかかわらず、相変わらずクール・テナーの巨人などと呼ばれていたのは、いかにキャッチ・フレーズがいい加減なものかを示している。

 とは言え、50年代の黒人ハードバップ、60年代はコルトレーンにフリー、そして70年代のエレクトリック、フュージョン・ブームの中にゲッツを置いてみれば、相対的に「クールっぽく」聴こえたのもわかるような気がする。

●ゲッツの本質

 『スタン・ゲッツ・カルテット』(Prestige)は、ゲッツがまだ“クール”の影響を残した1949年、50年の演奏で、ソフトなテナー・サウンドでダマされてしまうが、即興のレベルは非常に高く、そこに注目して聴けば、まさに剃刀の切れ味だ。こうしたゲッツの本質は、ボサノヴァ時代も最晩年も一貫している。

 1927年ペンシルバニア州フィラデルフィアに生れたスタンリー(スタン)・ゲッツは、スタン・ケントン、ベニー・グッドマンなど一流ビッグバンドを経験し、ウディ・ハーマン楽団では“フォー・ブラザース”の一員として名を上げた。60年代はボサノヴァ・ブームに乗ってファンを増やし、70年代は比較的裕福な生活をしていた。1991年没。

【収録曲一覧】
01: ゼアズ・ア・スモール・ホテル
02: アイブ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン
03: ホワッツ・ニュー
04: トゥー・マーベラス・フォー・ワーズ
05: ユー・ステップト・アウト・オブ・ア・ドリーム
06: マイ・オールド・フレイム
07: ロング・アイランド・サウンド
08: インディアン・サマー
09: マーシャ
10: クレイジー・コーズ
11: レディー・イン・レッド
12: 苦しみを夢にかくして
13: プリザベーション
14: イントゥ・イット

スタン・ゲッツ:Stan Getz (allmusic.comへリンクします)

→サックス/1927年2月2日 - 1991年6月6日