北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表
北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表
この記事の写真をすべて見る
イラスト/田房永子
イラスト/田房永子

 作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。今回は自身が性暴力と闘う理由を改めて問う。

【この記事の画像はこちら】

*  *  *

 夢の中で闘っていた。私は戦闘のために巨人化されてて、相手も巨人で(女か男かわからない)、どちらも普段着で(私はワンピース)、右手には巨大な定規を持っていた。よくあるプラスチックの定規だ(けっこう長く、1メートルはあるだろう)。

 私は定規のバネを巧みに使い、相手の頬をパタパタパタとリズミカルに叩いては、ハッと巧みに体をかわし防御する。相手の武器は不明だが、空を切る定規の音は真剣そのもの。定規は相手の頬の上をしなやかに弾み、私は手ごたえを感じている。そのうちに定規が真ん中でパキンと折れた。「ここまでか!」。ひるんだ私は折れた定規の鋭利な角を使うべきかどうか……と、相手の目と定規の先を交互に見つめ冷静に考えている。

 といったところで、目が覚めた。

 ……くだらないですよね! でも、なんだか私はこの夢を見てから、吹っ切れたのだった。夢は偉大だ。自分の無意識を、きっちり映像化し私に伝えてくれる。以下は勝手な夢判断だ。

 私にとっての闘いは普段着なのだ。スカートなのだ。そして気が小さい私は、闘う時は気持ちを大きくしなくちゃ、やってられないのだ。私にとっての闘いは、モノサシなのだ。それは自分が握る価値、思想だ。使い方を誤れば折れるし、鋭利な凶器にもなるだろう。とはいえモノサシが本当の凶器になったら、相手の目を見て躊躇(ちゅうちょ)する。そして闘いとは真剣になればなるほど、どこか滑稽なものだ。だけど滑稽な真剣が、または真剣な滑稽が世の中を動かすことだってあるのだよ……。私は夢をそう解釈した。

次のページ