TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は「岡田将生さんが議論中にぶっ倒れた大阪・鶴橋の夜」。
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演劇は言葉(科白=せりふ)を可視化し、現実と交差させながら物語を紡ぎ出す。身一つで舞台の上に放り出された俳優は、何百、何千という瞳が見つめる中、ダモクレスの剣のようにいつ何が起こっても不思議ではない人生を演じる。演者のいない舞台はただ何もない空間。演劇に一回限りの潔さが漂うのはそのせいだ。徒手空拳、無音のスタジオで声を頼りにマイク一本で立ち向かうラジオも似ている。だから僕はラジオドラマを作る時、多くの場合、声優ではなく生の舞台を踏む俳優に出演を依頼する。
先日、ラジオCMの制作会議があった。その国独自の言葉で、他国にないものを集めてCMを作ってみようという企画になり、「ヒライス」という言葉を知った。ウェールズ語で、“Hiraeth”。「もう帰れない場所に帰りたくなる気持ち」を指すのだそうだ(ちなみに日本語の「木漏(こも)れ日」は他言語に該当する言葉はない)。
もう帰れない場所、帰ろうと思っても叶わない場所に戻りたい……。
芝居や文学、音楽にしても、芸術作品はこの「ヒライス」という感情を目指して創られているのではないか。だからこそ、受け手は金を払って鑑賞の場に足を運ぶ。
岡田将生さんの『ハムレット』を観た。以前、親友の俳優、勝村政信さんが彼を連れてきて、東京・三軒茶屋の徳島料理屋や大阪・鶴橋の韓国料理屋で飲んだことがある。鶴橋では大阪公演後の緊張と過労のためか、議論をしながらその場でぶっ倒れ、その潔さに感服した。
岡田将生演じるハムレットは、小説で言えば村上龍さんの『コインロッカー・ベイビーズ』、映画ならスタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』の主人公を彷彿させた。生きる喜びに満ち溢れる豹のように獰猛(どうもう)で、どこまでも衝動的だった。