宮本浩次とのデュエットによる「獣ゆく細道」は、世の流れに身を任せるよりも人間の本性の“獣”に戻って身を晒し“誰も通れぬ程狭き道をゆけ”と駆り立てる。宮本との掛け合いの妙に快感を覚える。
フレンチ・ポップス風でコケティッシュな歌いぶりによる「マ・シェリ」は愛する人が自分の鏡のように似通っていく様を描きだす。
メタリカ風のヘヴィー・メタルな爆音が轟く演奏をバックに、歌声に惹かれて迎えたというBUCK-TICKの櫻井敦司との「駆け落ち者」は、にっちもさっちもいかなくなったどん詰まりの愛憎模様を描きだす。続く「どん底まで」は、そんな二人の成れの果てか。パンキッシュな演奏をバックにした椎名の歌はぶっきらぼうでデビューの頃を思い起こす。
「神様、仏様」では、むき出しの欲望が歌われ“地獄の淵へ突き落としておくれ”と締めくくる。
そのコーダからピアノ・トリオによる演奏にとって代わる「TOKYO」への鮮やかな展開は本作での聴き所のひとつ。同曲では夢と現、過去と現在を対比しながら恨んで嘆き“どんな最期を迎えて死ぬんだろう”と思いやる。その表題は都市や現代社会の見せかけだけの表層を物語るようだ。
清涼飲料水のCMに書いた「長く短い祭」は、東京事変の一員だった浮雲こと長岡亮介の“炭酸声”を想定したというネオ・ソウル風。“泡の強さを想起”して加工を施した浮雲の声は爽快だが、ブラスの響きは真夏の暑苦しさを表現。当人は“私らしい納涼サウンド”だと語るが、むしろ夏の季節の一瞬の刹那を浮かび上がらせる。
グラム期のデヴィッド・ボウイが思い浮かぶラヴ・ソングの「至上の人生」、「急がば回れ」はブリット・ポップ風、「ジユーダム」は軽快なラグ・タイム風だ。マーヴィン・ゲイとタミー・テレルのデュオを想定してソウル系のスタイルが得意なトータス松本を迎えた「目抜き通り」はミュージカル・ナンバー風。
彼女の音楽的な背景への興味をそそる一方で、歌の背景に市井の人々の暮らし、現代社会が映し出されているあたりも見逃せない。“抗うことの出来ない現実の時間経過をそのまま利用した作品”だと語る通り、今という時代を見据え、今という時代が彼女を駆り立てた作品だ。
デビュー以来、巧みな自己演出により確立してきた個性は彼女の大きな魅力だが、不惑を迎えてようやく等身大の生身の姿を現しはじめた彼女のこれからの動向に、一層の関心、興味を抱かずにはいられない。
締めくくりの「あの世の門」は、“生後数日で淘汰されるべき生命体”として生死の淵をさまよった記憶をもとに描いたという。ブルガリアのVANYA MONEVA CHOIRが参加し、不思議な余韻を残す。(音楽評論家・小倉エージ)