もし、あのとき、別の選択をしていたなら。著名人が岐路に立ち返る「もう一つの自分史」。今回は、優しくスカートを揺らしながら、取材場所に現れた松原智恵子さん。「可憐」「ふんわり」という言葉がぴったりだが、実は行動力と決断力はたしか。仕事でも私生活でも「決めるところは決める」タイプなのかもしれない。デビューから60年近くたったいま、その胸中に浮かぶものは?
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――名古屋で暮らしていた15歳のとき、日活の「ミス16歳コンテスト」に自ら応募したという。
2人の姉がそれぞれ「ミス」を獲っていたんです。そんなとき、たまたま新聞で日活の「ミス16歳コンテスト」の募集を見て、じゃあ自分も、と思いました。
まだ15歳だけど数え年なら16歳かな?と勝手に解釈して、軽い気持ちで応募したんです。入選のご褒美が東京見物で、それが目当てでもありました。いずれ東京に出たいと思っていたので、これはいいチャンスになるかな、と。
――見事、入選を果たし、ほかのミスたちとともに東京見物に繰り出した。
当時流行していたジャズ喫茶に連れていってもらったり、日活の撮影所の見学もしました。そのとき、なぜか私ともう一人だけ呼ばれて、お化粧をされて、カメラテストを受けたんです。
そのあと「日活に入りませんか」とお話をいただきました。女優を目指していたわけではなかったけれど、躊躇(ちゅうちょ)はありませんでした。15歳だったし、なんでも挑戦してみたかったのです。東京に親戚の家があったので、そちらに下宿しながら日活に通うことになりました。
日活は最初から女優として本気で育ててくれるつもりだったようで、通いはじめて1週間もたたないうちにセリフのある役をいただいて、映画の主演も決まりました。両親も「それならば」と理解してくれました。
――16歳で映画デビュー。吉永小百合さん、和泉雅子さんとともに「日活三人娘」として活躍するようになる。
2人と一緒に仕事をしたのは年に1回くらいです。ほとんどが雑誌の写真撮影でした。ライバルなんて意識はまったくありませんでした。