「僕が尾崎豊の息子であるということ。それはずっと変わらないことですから。父親のファンからすれば、きっとうれしいことであるのもわかります。もし、この先大ヒットでも出たら、その曲を歌っている人と書き換えられるかもしれないですけどね(笑)」
尾崎は、須藤にとっても大きすぎる存在。ふとした瞬間に、裕哉と重ね合わせることもある。
「『アッハッハ』っていう、豪快な笑い方も、そっくりです。尾崎って、世間的にはエキセントリックで繊細というイメージもあるかもしれないけれど、実はすごく大きな声で、よく笑う人。それから作品についての話をしている反応、作品に立ち向かう感じも、ものすごく似てる。僕が熱弁しているのに、『ああ、わかってます』とか『なるほど』とか、すごくクールだったり」
裕哉は現在29歳。父が他界した年齢を、超えた。
「年齢はともかくとして、尾崎豊という存在は、超えるとか超えないとかの話ではないですよね」
と、裕哉は語る。16年の著書『二世』では、「誰もが、誰かの二世である」と記している。
「僕の場合は、たまたま父親が有名な人なだけで、誰でも誰かの二世である。それがすべてだと思ってるんですよね。何をしたら尾崎豊を超えるとかってないだろうし、あえて超える必要もない。僕は僕。それでいいと思うんです」
その言葉を聞いた時、「僕が僕であるために」、そんな尾崎の代表曲が頭をよぎった。
裕哉と須藤は、尾崎の歌を歌い継ぐことを、「伝承」と位置付ける。
「裕哉くんは、尾崎豊が残したものを正しく『伝承』できる唯一の、とは言わずとも、最も可能性が高い人だからね」
と言う須藤に対し、裕哉はこう語った。
「歌舞伎や落語の受け継ぎ方とはまた違いますが、受け継がれるという美学は確かにありますよね。尾崎豊の歌というのは、そういう存在なんだと思います。僕は、父親の曲をリスペクトして歌い継いでいくことと同時に、尾崎豊が歌えなかったこと、27歳から先の尾崎豊はどのようなことを歌ったのだろうか、それを想像しながら自分自身の体験とかもまじえ、歌を作って歌っていくというのが、僕の、尾崎裕哉なりの『伝承』なんだと」
(本誌・太田サトル)
※週刊朝日 2019年5月3日‐10日合併号