もし、あのとき別の選択をしていたなら──。著名人に人生の岐路に立ち返ってもらう「もう一つの自分史」。今回は直木賞作家の平岩弓枝さんです。「旅路」(NHK)や「ありがとう」(TBS)など、テレビドラマの脚本も数多く手がけてきました。人間を見つめ続ける視座はどこで養われたのでしょうか。影響を及ぼした経験を振り返ります。
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生まれも育ちも代々木八幡宮(東京都渋谷区)。宮司だった父に溺愛されて育ちました。鎌倉時代から続く神社の一人娘ですから、特殊な環境だったことは間違いないですね。周囲は大人ばかりだし、家は小高い山の上で境内にある。親友は、氏子総代の方が譲ってくださったトミっていう名前のメス犬。それはそれはかわいかったですね。
――実は、平岩を作家に導いたのはそのトミだという。まず、作家の原点の、トミとの思い出を振り返ろう。
今、代々木八幡駅があるあたりは、当時は材木置き場でね。その向こうの踏切を渡って、富谷小学校に通っていました。でも、学校がつまらなくて。何しろ父が、学校で教えるようなことは全部、先回りして教えちゃってたんです。
早く帰りたくて、おなかが痛いってうそついてた。でも、まっすぐ帰ったらばれちゃうから、材木置き場に座って、お昼のサイレンを待つんです。そしたらトミがね、トコトコと走ってきて、私の隣に座るんですよ。どうして私が早退してるのがわかったのか、不思議でなりません。
トミは意気揚々と私の後ろをついて歩いて、石段まで来ると一気に上まで駆け上がるんです。そこから先は目撃談なんですけど、トミはまっすぐ犬小屋へ入って、さも「今まで寝てましたよ」っていうふうに、あくびしながら出てくるんですって。それでしれっと私を出迎えるんです。
仮病で早退なんて、すぐ親にばれました。母が「まったく、犬までグルになって!」って怒りましてね。トミと私はいい友達だったんです。
小学校を卒業するころ、トミは天寿を全うしました。すごく悲しくて、「トミの思い出」っていうのを綴り方(作文)で書いたんです。私、それまで作文なんてあまり書いたこともなかったのに。
そしたらそれが渋谷区の広報誌に載りましてね。これが間違いの元でしたねえ(笑)。親も氏子も「弓枝には文才がある」なんて言いだして、こっちも綴り方をやらねばって思うようになった。だから、私を作家にしたのは犬のトミだって思うのです。