小泉氏は皇太子に、民主主義国家における皇室のあり方、そして天皇のあり方について、細やかに教えたといわれている。テニスをするようになった皇太子に、打ってアウトになったボールを、自分で拾うべきだ、などとも諭したようである。
そして、皇太子が正田美智子さんとテニス仲間として仲良くなると、小泉氏は二人を結びつける、婚姻の仲介役を演じたようである。
かつて皇太子が民間から妃を迎える、などということはありえなかった。小泉氏は、誰も考えられなかった東宮と民間の女性を、しかも恋愛のかたちで結びつけることによって、皇室の民主化、そして民主主義国家では皇室が国民に開かれている、ということを示そうとしたのであろう。
もっとも、皇太子と民間女性の婚姻には、旧宮家も皇族も強く反対したということである。昭和天皇はそうした強い反対を押し切って、皇太子と美智子さんの婚姻に賛成し、実現させたのだといわれている。
そして、国民はこれを大歓迎した。大ミッチーブームとなったのである。
「新憲法下で、皇室と国民との関係はどうあるべきか」という昭和天皇の強い悩みは解消したわけだ。
現天皇と皇后は、災害時には各地の避難所で硬い床にひざをついて被災者に寄り添い、あるいは沖縄、サイパン、ペリリュー島などの激戦地に慰霊の旅を続けるなどして、国民の感激を呼び起こしている。小泉氏は彼岸で安堵しているのではないか。
※週刊朝日 2019年3月8日号