落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「移籍」。
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思わず「あれ? なんであなたがここにいるの?」って言ってしまいました。
相手は某落語会の楽屋で会った前座さん。以前は○○師匠のところにいて、故あって破門に。「どこかの一門に入って復帰したらしい」と噂には聞いてました。半年前より顔色もよさげ。
「今は△△師匠のところにおります」「……なるほど、そうですかー。頑張ってねー」「ありがとうございます! 今後ともよろしくお願いいたします!」
なんて当たり障りのないやりとりをして、周りも事情には深くは立ち入らない。どうやら旧・師匠も新・師匠も双方納得していることらしく、お互い挨拶も済ませ仁義は通したそうです。それならなにより。誰も文句を言えるこっちゃないです。
落語家が「師匠を変える」ことは、なさそうで、意外とあるのです。戦前の落語界ではかなりあったらしい。
東京の芸人が師匠をしくじって上方へ逃げたり。師匠が存命でも、ケツをまくってよそへ行っちゃったり。でもほとぼりが冷めたら、また元の鞘に戻ってみたり。話だけ聞くとけっこうおおらか。『移籍』という表現で合ってるかわからないけど、そんなライトな感覚だったのかもしれませんね。
現在の落語界では、「師匠を変える」なんて相当な一大事です。たとえ前座であれ、楽屋でもちょっとしたゴシップネタとしてあることないこと言われたり、『移籍』という言葉のイメージよりはるかに重たい十字架であることは確かです。
破門になり、いろんな師匠に再入門を願うもみな断られ、そのままこの世界から去る、という人ももちろんいます。
入門を乞われた側の師匠も、たやすく引き受ければ元の師匠との関係が悪化することも考えられるわけで、ましてや「破門になる、もしくは自ら辞める」ということは多かれ少なかれ何かしら当人にも問題があったのかもしれない。それを当人の口から聞いて、受け止めた上で、元の師匠への筋も通して、その「子」の新たな「親」になるというのは……想像しただけでかなりの重圧です。間に入るエージェントなしにこれをやるんですからねえ……。師匠って大変。