「夫を失った妻は、死後の様々な手続きに直面して大変さを実感します。そして、今度は自らの老後や死にどう備えればよいのかと不安になります。老後や死後のことを託せる子のいない方、退職した独身の女性などは特に悩みが深く、不安で夜も眠れぬという方もいます」
そう話すのは、『子どもなくても老後安心読本』(朝日新書)を2月に出版する岡信太郎さん(35)。北九州市で「司法書士 のぞみ総合事務所」を構え、高齢者の法的サポートなどの相談に日々向き合う。寄せられる声で多いのが、遺産相続の悩みだ。
「子どものいない夫婦で夫か妻が亡くなると、すべての遺産を配偶者がもらえると勘違いされる方もいます。遺言がないと法定相続人の間で遺産分割を話し合うことになり、故人の兄弟姉妹、場合によってはおいっ子やめいっ子と一緒に遺産分割協議をします。『連絡先を知らない』『なぜそんな人たちと財産を分け合うのか』と戸惑う方も出てきます。こうした事態を防ぐ解決策の一つが、夫と妻がお互いに『たすきがけ遺言』を書き合うことです」(岡さん、以下同じ)
たすきがけ遺言とは何か。その大切さを知るために、まずは相続のしくみをおさらいしたい。
故人の遺言がない場合、民法が定める法定相続人の間で遺産の分け方を話し合う。配偶者は常に相続人で、子がいれば子と、子がおらず親が存命ならば親と、財産を分ける。こうした親子孫の「タテ」の相続だと、日ごろから連絡をとりあう間柄のため、問題は起きにくいか、起きても話し合いが進みやすい。
悩みが深くなるのは、子がおらず親も亡くなり、法定相続人が兄弟姉妹に広がる「ヨコ」の相続。
兄弟姉妹が死去していれば、その子であるおいやめいが法定相続人になる(代襲相続)。ヨコの相続だと、つきあいの浅い人がいたり、人数が増えたりしやすい。岡さんは、相続人が38人もいる相続に遭遇したという。
海外に住む法定相続人がいれば、印鑑証明書の代わりに、自署(サイン)の証明書を現地の公的機関で発行してもらう。書類のやりとりだけで数週間。相続税の納付期限は10カ月で時間との闘いだけに、相続人が海外にいると大変になる。
タテの相続とヨコの相続は、ほかにも違いがある。
故人が遺言で財産の分け方を指示しても、親子孫のタテの相続だと、法定相続人には最低限の取り分(遺留分)が発生する。「実家に寄りつかなかった子の相続分をほかの子よりずっと少なくしたい」。こんな希望に沿って遺言をつくっても、最低限に足らない分は、ほかの相続人に支払いを求めることができる(遺留分減殺請求)。
一方で、兄弟姉妹には遺留分がなく、請求できない。兄弟姉妹が法定相続人の場合だと、遺言を書いて配偶者に全遺産を相続させることも可能。たすきがけ遺言が効果を発揮する。
妻が専業主婦だった家庭は、大半の財産が夫名義で妻の財産はわずかということもある。この場合も妻は遺言を書くべきだろうか。
「奥さん名義の預金口座など、少額でも何かしらの相続財産はあって、ゼロではないはずです。遺産が100万円でも1億円でも、相続手続きは同じ。手間や費用が相続額より高くつくケースもあります。亡くなった妻の遺言があれば、夫はほかの法定相続人と協議する必要がなくなります」
(本誌・中川透)
※週刊朝日 2019年2月8日号より抜粋