

あのとき、別の選択をしていたら──。著名人が人生の岐路を振り返るもう一つの自分史。今回は、伝説の歌番組「夜のヒットスタジオ」などを担当した司会者の芳村真理さんです。モデル、女優、司会者と何でもこなし、その抜群のファッションセンスで注目の的だった芳村さん。移り変わりの速い世の中をしなやかに歩んできました。
* * *
私はいつも、その時代に流れてきたものをやってきただけ。いろんな時代が目の前を通り過ぎて、私は川岸からピョンとのったら、うまくはまっていっしょに流れてきた感じ。
モデルから始まって、ラジオやテレビの仕事もみんなそう。時代ごとの新しい仕事をすべてやらせてもらえて、ラッキーだったし楽しかったですね。もちろん、与えられた仕事は120%の力で、せいいっぱいやってきたつもりですが。
――高校時代は銀座のデパートでアルバイト。卒業後も働いてほしいと言われたが、「どうせなら誰もやってない仕事を」と、モデル事務所を探した。ちょうど高度経済成長期が始まろうとしていたころだった。
直感的に「面白そうだな」って思った。あのころ、銀座にモデルクラブがふたつあって、近いほうに行ったら、「ここに名前と連絡先を書いてください」って、それだけ。面接もオーディションもないの。
何日かしたら電話がかかってきて、言われるままに赤坂のビルに行ったら、そこは美容室の事務所で、いろんな髪形にされて、この服を着てくださいって言われて、どんどん写真を撮られたの。ヘアスタイルのモデルの仕事だったのね。
後日、新聞に「日本ヘアデザイン協会の今年のルック」って、自分の写真が出ててビックリ。全国からヘアモデルを頼まれたわね。どうやら私の髪は、細いけど強くて、ちょっと茶色がかっているのがよかったみたい。頭の形も「どんな髪形にもよく合ってやりやすい」って。まさか、そんなことホメられるなんてね。
時代に、ピッタリはまったんだと思う。戦争が終わって10年近くたって、やっと髪形を気にする余裕が出てきたんです。