放送作家・鈴木おさむ氏の『週刊朝日』連載、『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は「保育園の送り迎え」について。
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年の瀬、仕事が詰まり、保育園に迎えに行く時間が遅めになってしまったとき、6個以上あるクラスが一つにまとめられて、子供たちが親の迎えを待つ。あと5人ほどしか残っていなかった教室で、僕の目を見て、嬉しそうな息子の顔を見ると、キュンとする。このキュンには、小さな罪悪感もあったり。3歳半のうちの息子は、この日の夜、いきなり泣きだしてしまった。妻が話を聞くと、やはり遅い時間まで保育園で寂しかったようだ。子供だって頑張っている。子供だって我慢している。笑顔を作っているんだなと改めて感じる。
保育園の送り迎え。共働き、シングルマザー、みんな時間のやりくりが大変なんだよなということを自分が経験して感じる。ラッキーだったのは、去年引っ越ししたマンションのお隣さんが、うちの息子と同じ年の子供がいて同じ保育園。しかも、働いている業種も僕らに近く。子供同士もすぐに仲良くなりました。
このおかげで、妻も僕もお迎えの時間が合わないときには、お隣さんにお願いして、迎えに行ってもらう。これがとてつもなく助かる。お隣さんが行けないときは、うちが行ったり。助け愛(あい)。
先日、僕が両足肉離れになって歩けなくなったとき、妻も早朝から仕事で息子を保育園に送りに行けない。お隣さんはその日、用事があり、保育園をお休みしていたにもかかわらず、僕が歩けないことを心配して、お隣さんのお父さんがうちの息子だけ保育園に連れていってくれました。保育園の先生からしたら、お父さんが、自分の子供が休んでいるのに、隣の家の子供だけ連れてくるというのはちょっとシュールだったかもしれませんが、本当に助かりました。遠い親戚より近くの他人と言いますが、まさにそれ。元々他人でも、家族より濃い関係になることだってある。