とかなんとか年が暮れて新春号となった。で、言いたいことは虚子の句、

去年(こぞ)今年(ことし)貫(つらぬ)く棒の如(ごと)きもの

 である。いささか俳句をかじった人ならば知っている虚子代表句のひとつ。

 去年今年とつづけて、あわただしく年が去り、年が来るという季題である。昭和二十五年の暮れ、翌新春用につくった吟である。「つらぬく棒」という語調の強さが耳にひびく。

 川端康成が、鎌倉駅の構内にこの句が掲げられているのを見て、随筆で絶賛したため、一躍有名になった。去年と今年のあいだにある眼に見えない断層を「つらぬく棒」としたところに、禅的な悟りがズドーンと通っている。

 芭蕉最古(十九歳)の発句、

春やこし年や行(ゆき)けん小晦日(こつごもり)(「千宜理記(ちぎりき)」)

(今日十二月二十九日は立春なので、今日の小晦日は春が来たのか、行ってしまったのか、わからない)

 と同じ情況である。週刊朝日は新年号だが、このコラムを書いているのは旧年である。虚子も新春放送用に作った。

 この句以後、「去年今年繋(つな)ぐ一睡ありしのみ」(友二)、「路地裏もあはれ満月去年今年」(鷹女)、「命継ぐ深息しては去年今年」(波郷)と、去年今年を詠んだ名句はあるが、「棒の如きもの」を超える名句はない。

 では「つらぬく棒」とはなにか。棒を禅的観念とすると理屈っぽくなって俳味が欠ける。棒とはなにか別のモノである。虚子は便秘だったと察する。糞づまりでなかなか出なかったウンコが、ゴーンと鳴る除夜の鐘にあわせて、するするっと棒のように出たのだ。お出になりましておめでとうございます。

週刊朝日  2019年1月4日号‐11日合併号

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