

もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。人生に「if」はありませんが、ひょんなことから運命は回り出します。著名人に人生の岐路に立ち返ってもらう「もう一つの自分史」。今回は歌手の美川憲一さんです。人生は「もしも」の連続だったと振り返ります。そのはじまりは、出生にまつわる「もしも」でした。
* * *
私の人生は「もしも」だらけ。だって、人生が始まるところから「もしも」があった。もしかしたら、生まれていなかったかもしれないんです。
本当なんですよ。私の父は妻子のいる人だった。でも、母はそれを知らなかったんです。
■「ビタミン剤だ」 母はピンときた
美川には2人の母がいる。実母・以(い)し子(こ)と、母の姉で、のちに養母となる米子(よねこ)だ。2人は長野県諏訪市の大旅館に生まれ、美人姉妹と評判だった。だが両親の死後、旅館は経営破綻し、姉妹は追われるようにして東京へ。姉は東京で結婚し、母は父と出会った。
母は背が高くてちょっと外国人風な顔立ちで、モダンだった。汽車のなかで父に声をかけられたそうです。後から考えれば「女房子どもがいるのによくもまあずうずうしい!」と思うけど、父はよっぽど母に惹かれたんでしょうね。プロポーズをして、結婚を前提に高級なアパートを借りて、母を住まわせた。
そして母は私を身ごもったんです。でもそれを報告したとき、父は喜ばなかったんですって。母は「あれ?」って思ったらしい。そうしたらしばらくして、父が薬を持ってきた。父はいまで言う「ビタミン剤だ」と母に勧めたんです。「これを飲めば元気な赤ちゃんが生まれるから」って。
それはピンク色のパラフィン紙に包まれていたという。
それ、劇薬だったのよ。たぶんね。母はなにかピンときたんでしょうね。「あとで飲む」と言って、そのまま流しに薬を流した。父は何度も「飲んだか?」って念を押したんですって。
でも、どんどん母のおなかが大きくなっていく。結局、父は逃げちゃったの。