『THE ARCHIVES VOL.1』のディスク3
『THE ARCHIVES VOL.1』のディスク3
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 ザ・リヴァーボート。正確には、ザ・リヴァーボート・コーヒーハウス。トロントのグリニッジヴィレッジとも呼ばれたヨークヴィル地区にあったキャパ120人ほどのクラブだ。1964年にオープンしたこの店は、わずか数年で北米大陸フォーク・シーンのメッカのひとつなった。ゴードン・ライトフット、ジョニ・ミッチェル、ブルース・コバーンといったカナダ人アーティストだけでなく、ジェイムス・テイラーやアーロ・ガスリーもここで歌った。ステージにこそ立たなかったが、ディランやクラプトンも客として訪れたという。ニール・ヤングも一時期ここで腕を磨いていた(後年、「アンビュランス・ブルース」でリヴァーボートを歌っている)。ジョニ・ミッチェルと知りあったのも、そのころだったらしい。

 1969年の2月、つまり、『エヴリバディ・ノウズ・ディス・イズ・ノーホエア』とタイトルされることになるセカンド・アルバムの録音がスタートした直後、ニール・ヤングは、リヴァーボートを再訪し、1週間、ライヴを行なっていた。『ライヴ・アット・ザ・リヴァーボート1969』は、そのうち最終日を含む3日間の音源をまとめたもので(客席には、バッファローのベース奏者だったブルース・パーマーもいるらしい)、09年リリース『THE ARCHIVES VOL.1』のディスク3として公式作品化されている。

 「アイ・アム・ア・チャイルド」、「オン・ザ・ウェイ・ホーム」などバッファロー時代の曲を核に、「ザ・ラスト・トリップ・トゥ・タルサ」などソロ・デビュー作からの曲も加えた選曲、マーティン社アコースティック・ギターの弾き語り、ぼそぼそとした口調のユーモラスなMCいった構成要素は、3ヶ月前録音の『シュガー・マウンテン』とほぼ同じだが、古巣でのライヴということも影響しているのか、かなりリラックスした雰囲気が伝わってくる。ソロ・パフォーマーとしての自信を、短期間で、急速に深めていたのだろう。

 聖地ザ・リヴァーボート・コーヒーハウスは70年代末、惜しまれつつ幕を閉じている。23歳のニールを記録したライヴ盤は、トロントの歴史的文化遺産でもある小さなクラブの、貴重なオーディオ・ドキュメンタリーともいえるだろう。[次回5/7(火)更新予定]

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大友博

大友博

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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