もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。ひょんなことから運命は回り出します。人生に「if」はありませんが、誰しも実はやりたかったこと、やり残したこと、できたはずのことがあるのではないでしょうか。昭和から平成と激動の時代を切り開いてきた著名人に、人生の岐路に立ち返ってもらい、「もう一つの自分史」を語ってもらいます。今回は喜劇役者の伊東四朗さんです。
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高校卒業して就職試験に全滅しましたからね。もしも、っていえば、あのときどこかに受かっていれば定年まで勤めあげて、いまごろ何してるかな、って感じですけど、幸か不幸か全部落っこちちゃった。筆記試験は通るんです。でも面接で落とされる。コネで口をきいてもらった会社の面接にまで落っこったんだから。「よっぽど面接向きの顔じゃないのかなあ」って、落ち込みましたねえ。
それでも役者になってからは、こんな怖い顔をしてるっていうのも感謝するようになりました。あるとき、山藤章二さんが何かに書いてくださったんです。「喜劇役者というものは総じて普段は怖い顔をしている人が多い。三木のり平、渥美清しかり。なかでもピカイチなのは伊東四朗だ」って。
考えてみれば、どんな役でもできる人に見られるのかなと。伊丹十三監督の「ミンボーの女」のメイク合わせのときに「監督、怖くするために、このへんにシャドー入れたりしますか?」って言ったら「いや、伊東さんはそのままノーメイクでいいです」って(笑)。あれもショックだったなあ。
――いまとなっては、不採用とした会社に感謝するしかない。「てんぷくトリオ」や「電線音頭」に栄養ドリンク「タフマン」のコマーシャル、実写版「笑ゥせぇるすまん」……。さまざまな顔でわれわれを魅了する名役者の道のりは、就職の失敗から始まっていた。
私はこれからどうやって生きていくんだろう。そう思っていたとき、早稲田の学生だった兄貴が「生協でアルバイトでもやれ」と。まあ、いま考えても時給30円は安いんじゃないかと思うんですけどね(笑)。
で、アルバイト生活をしながら歌舞伎をよく観に行ったんです。お金がなかったから、大きな声じゃ言えないけど、インチキな方法も使いました。一番簡単なのは、はとバスの団体客にくっついて入っちゃう。ただ歌舞伎座の前で、必ず記念撮影をしなきゃならないんですよ。だから私が写ってる写真を持ってる方が、世の中にたくさんいらっしゃるんじゃないかなと(笑)。