歌舞伎と同時に観に行ってたのがストリップ。合間に短い喜劇があるんですよ。渥美清さん、由利徹さん、石井均さん……そうそうたる人たちが出ていて、それを楽しみに通い、楽屋にも入り浸っていた。あるとき石井均さんに「お前も出るか」と声をかけられたんです。
最初の舞台は、錦糸町駅前にあった「江東楽天地」。いまで言う健康ランドです。幕開けにスーッと出てくるだけの青年役で、セリフもないですよ。それがすべての始まりです。
生協から「正社員にならないか」という話もあったんです。うれしい話のはずなんですけど、なぜか、喜べなかった。もう芝居のほうに心が傾きかけていたんですね。悩んだ末、石井均さんの劇団に入れてもらったんです。やってるうちにこの世界から抜けられなくなりました。
――石井均一座の解散後、三波伸介、戸塚睦夫と「てんぷくトリオ」を結成。坂本九を中心にした日本テレビ系のバラエティー番組「九ちゃん!」の出演が、蓄積となった。
28歳のとき、「九ちゃん!」の井原高忠さんという伝説のプロデューサーに拾ってもらったことが大きかったですね。井原さんはいいかげんに何かをやる、というのを許さなかった人で、踊りも歌も徹底的に鍛えられました。
「来週はペリー・コモを歌ってもらいます」とか「来週はバイオリンを弾いてもらいます」とか言ってバイオリンを渡されるんです。「メリーさんの羊」と、貫一お宮の「金色夜叉の唄」を1週間で弾けるようになれ、と。ちょうど長男が生まれたころで、6畳一間でギーコギーコやると、泣くんですよ。素人のバイオリンほど、いやな音はないからね。しかたなく、裏の墓場で練習したんだけど、あれ、偶然通りかかって聴いた人はびっくりして気絶しただろうな(笑)。
その後の役者人生でも、何度も追い詰められましたね。でも、追い詰められると、人間やれるもんです。井上ひさしさんの台本はいつもギリギリだったし、三谷幸喜さんの舞台では本番の3日前に台本が届いたこともあった。でも驚きません。
市川準さんと「タフマン」のコマーシャルをやったときも、現場に行ったらセットが三つあって、いきなり「伊東さん、サウナからお願いします」ですよ。「いや、台本くださいよ」と言うと、「中に入ると太った男がいますから、なんかやってください」って返されて、「えっ! ちょっと待ってくださいよ!」と言っても、「じゃ本番!」(笑)。
頭を振り絞って考えました。市川さんの背中がヒクヒク動いてるから「ああ、ウケてる」とわかった。