沖縄出身のスーパースター・安室奈美恵が予告どおり、9月16日に引退する。その前日には、沖縄県宜野湾市でファイナルライブが開かれ、一目でも見たいと地元は大フィーバーとなっている。本誌は沖縄で安室を育てた恩師らを取材。秘蔵写真を追いながら、伝説が生まれた原点を探った。
31年前の1987年秋──。
安室奈美恵が小学5年生のとき、発掘したのは、沖縄アクターズスクール校長のマキノ正幸氏(77)だ。アクターズスクールからは安室をはじめ、MAX、SPEED、DA PUMP、三浦大知、知念里奈らのスターが輩出した。
マキノ氏の沖縄市内の自宅兼事務所を訪ねると、こう話した。
「私は奈美恵でぜんぜん儲けてないんですよ。他のスターたちも、うちから巣立っていっただけ。私は学校をつくって約6億円の借金ができ、それを返済して1億円ぐらい残ったので、今の事務所を細々と続けているだけですよ」
安室との出会いの日は今も忘れられないという。
「うちの主催で生徒を募集するオーディションの第1回を開催したとき、奈美恵は自分が出場するのではなく、友達の付き添いでやってきました。私のそばを通って、事務所の1階から3階まで、何回も上り下りしていたので目につきました」
マキノ氏は安室の姿が見当たらないのに気づき、もう帰ってしまったのかと、慌てて外へ出てみると、30メートルほど先のバス停に彼女がいるのを見つけた。
「うちの学校へ入りたいの?」と聞くと、安室がうなずいた。「じゃ、明日、お母さんといらっしゃい」と伝えた。
このとき、マキノ氏が声をかけなければ、日本中が安室奈美恵伝説に熱中することもなかった。
当時、安室は10歳。マキノ氏はまだ彼女の歌声や踊りを見たわけではなかったが、直感的にこれはめったにいない逸材だと直感したという。
「顔が小さく、首が長く、階段を上り下りする体の動きがとてもしなやかだった。彼女はクオーターで、体のバランスがよかったんですね。あと本人と話したら、小学校のときに空手をやっていて、初段級の腕前だというのです」