今年70歳となった小坂忠。1976年にクリスチャンとなり、78年にはゴスペルレーベルを設立した
今年70歳となった小坂忠。1976年にクリスチャンとなり、78年にはゴスペルレーベルを設立した
1975年の名作をステージで再現した『HORO 2018 SPECIAL LIVE』(コロムビア COCB―54264)。アンコールに「上を向いて歩こう」も
1975年の名作をステージで再現した『HORO 2018 SPECIAL LIVE』(コロムビア COCB―54264)。アンコールに「上を向いて歩こう」も

 小坂忠の最新ライヴ・アルバム『HORO 2018 SPECIAL LIVE』。小坂の代表作であり、日本のポップス/ロック史の中でも名盤として語られてきた『ほうろう』(1975年)を全曲、アルバムの曲順通りにステージで再現したライヴ盤だ。

【最新ライヴ・アルバム『HORO 2018 SPECIAL LIVE』のジャケットはこちら】

「ありがとうございます! 戻ってまいりました」

 小坂は1曲目の「ほうろう」を歌い終えると、開口一番、そうあいさつする。

 昨年8月、急性胆嚢炎のために緊急入院したところ、S字結腸がん、胃がんが相次いで発覚。長く入院し、胃など三つの臓器を切除・摘出した。本作には、本格的にライヴ活動を再開させた今年3月の公演の模様が収録されている。

 小坂は66年にグループ・サウンズのザ・フローラルに参加し、68年にデビュー。次いで細野晴臣、松本隆らが在籍したエイプリル・フールの一員に。解散後はロック・ミュージカル『HAIR』に出演している。

 ソロとしての船出は71年のアルバム『ありがとう』。エイプリル・フール時代には“シャウター”の異名を持つ歌いぶりだったが、そのイメージを一新し、ロック・スピリットを持ったポップ・ヴォーカリストとして注目を集めた。

 72年にライヴ盤『もっともっと』、翌年には『はずかしそうに』を発表。この当時、歌うことは好きでも自身のヴォーカル・スタイルについては悩んでいたと後年に語っている。

 そんな小坂が自分のスタイルに確信を持ったというのが75年1月発表の『ほうろう』だ。洗練された演奏や“ソウルフル”な歌は、ロック、フォークのファンに衝撃をもたらし、日本のR&B/ソウルの元祖として語られた。

『ほうろう』の制作をめぐっては、あのティン・パン・アレーが大きく貢献している。元はっぴいえんどの細野や鈴木茂が林立夫、松任谷正隆らと結成し、荒井由実『ミスリム』、雪村いづみ『スーパー・ジェネレイション』といった傑作のバックを務めたキャラメル・ママを発展させたセッション・グループだ。

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小倉エージ

小倉エージ

小倉エージ(おぐら・えーじ)/1946年、神戸市生まれ。音楽評論家。洋邦問わずポピュラーミュージックに詳しい。69年URCレコードに勤務。音楽雑誌「ニュー・ミュージック・マガジン(現・ミュージックマガジン)」の創刊にも携わった。文化庁の芸術祭、芸術選奨の審査員を担当

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