『ほうろう』の主要な曲は、R&B/ソウルを下敷きにし、ときに歌謡曲的なテイストを加えることで人気を集めた。エイプリル・フール時代の改作曲や細野晴臣のトロピカル風な曲、鈴木晶子時代の矢野顕子の曲では、後にAORとして語られる大人のロック/ポップス的な要素を先取りしていた。

 細野が作った「ほうろう」のタイトルは“放浪”と“放ろう”という二つの意味を併せ持つ。小坂がパートナーの高叡華と手がけた「ゆうがたラブ」での“夕方”は、ソウル曲にしばしば登場する“You’ve Gotta”にも通じる。こうしたユーモアや遊び心のある歌詞も話題を集めた。

 特筆すべきは「機関車」。かつてカントリー・テイストの牧歌調で演奏されてきたが、これをディープなサザン・ソウル的なバラードに変貌させ、“ソウルフル”な熱唱を披露した。

 小坂はかつてFENを通して洋楽に親しみ、レイ・チャールズなどの歌詞をカタカナで書き取り、まねして歌っていた。その原体験が、『ほうろう』でのヴォーカル・スタイルの下地になったという。

 このアルバムで絶大な評価や支持を得た後、小坂の身辺に変化が起きる。

 愛娘が火事で重傷を負い、回復を祈るうち、自身もクリスチャンに。教会音楽での活動を中心とするようになる。小坂の曲どころか、小坂という歌手の存在すら知らない人たちの前で歌った。その体験は後に大いに役立ったという。

 2001年にポップス歌手としての活動を再開。『PEOPLE』(01年)、『Connected』(09年)などを発表したが、昨年、重病に冒され、闘病生活を余儀なくされたことは先述の通りだ。

 小坂は今春、本格的なライヴ活動を始めるにあたり、現在のメンバーで『ほうろう』を全曲やっておきたいと思ったという。代表作であるだけでなく、歌手としての出発点になった作品でもある。“もう一歩のところで<向こう側>に行っていたかもしれない”という重い病の体験が、改めて『ほうろう』に目を向けさせたのだろう。

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今回のアルバムでは…