生ギターのフォーキーな演奏に始まり、シンセ・ポップへと変化していく「テレパシー」では、鉄橋の下での夕立の雨宿り、雷を伴う激しい雨にたたられた夏の雨の日の情景が描き出される。


「飛行船」は、映画『未知との遭遇』のラスト・シーンを想起させる。“向かう本当の行き先も まだ知らずに”飛行船に吸い込まれていく人々。主人公も乗り込んでいく。寓話的な物語だが、その結末は聞き手に委ねられている。この曲での尺八の音を模した音とピアノによる演奏が、ドラムン・ベース風へと変化する演奏展開は聴きものだ。

「対岸の掟」の“対岸”という歌詞から“彼岸”を思い浮かべたのだが、映像化されたこの曲の背景に映し出されているのは大自然の森の光景だ。“期待して 落胆して 正しき弱さ~一方に流されて 物差しで計られて 豊かさの真意はどこに”と、迷う心が描かれている。最後に歌われ、映像化されたシーンでも登場する“蝶”の存在が象徴的だ。

 演奏曲の「嚢」、ささやきから叫びに変わる「胞子」、眠ることのない都会の夜での快楽の記憶をたどる「誘蛾灯」では、主人公の内省的世界が描かれていく。

「綴化」では再び“君”が登場。トラップ的な要素を採り入れた演奏、それに呼応した3連のビートを意識した歌詞、三浦の切ない歌唱が鮮やかに一体化する。この曲も本作でのハイライトの一つだ。“綴化”とは突然変異的に奇形化した植物を意味するが、映像化されたこの曲ではカラフルでサイケな花模様が登場する。

「世界」は、ドラマチックな盛り上がりを見せるバラード。“この世界の片隅に君がいるのではない 君こそが この世界のすべて”“隣に君がいて 隣に僕がいる”と歌われるラヴ・ソング。前世でも、今世でも、来世でも“何度でも巡り会える”という歌詞から、本作では輪廻転生の世界観もテーマであることが浮かび上がる。

「朝が来るのではなく、夜が明けるだけ」は、三浦のピアノの弾き語り。“君”への思いを歌うが、“君”の存在は見えない。アルバムを締めくくる「おかえり」は、鳥のさえずりなど夜明けの情景が思い浮かぶ演奏曲だ。曲の最後に聞かれる波音と舟の汽笛は、アルバム幕開け「序詞」でのそれと同じであり、「序詞」につながる。再び「序詞」に耳を傾ければ、その最後、沈黙の後で聞かれる「だだいま」という言葉。“過去の記憶”“君”との思い出を辿る“旅”が始まり、“君”が再び姿を現す。

 平易な言葉遣いによる歌詞だが、メロディー、リズム、ビートに即し、象徴的な表現だけにとどまり、ときに曲の理解を妨げるところもあるが、聞き手の理解に委ねるという意図もあってのことだろう。三浦の丹念な歌唱や多彩な音楽展開がそれを補い、とくにCDでは演奏部分が想像力をかきたてる。

 映像では、三浦のダンス・パフォーマンスの多彩さ、意外性に引き込まれ、繰り返し映像を確かめたくなる。

 いくつかの課題を残しながらも、三浦とNao’ymtによる実験的なコラボは、新たな歩みの一歩をしるした。三浦は今後ライフ・ワークとして継続、実践していきたいという。どのような形で具現化されていくのか、大いに楽しみだ。(音楽評論家・小倉エージ)

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