「地方大会でもピンチに林から変わることが多かったので、イメージはできていた。後ろには金城がいる。そう思って、つなげるための全力投球でした」

 見事切り抜けると、8回には多賀監督が「大きかった」と語る追加点。そして最終回。満を持して、金城登耶(3年)を送り込んだ。

「智弁和歌山のすごい逆転劇をベンチで考えていた。1点差、2点差ならわからなかった」(多賀監督)

 一方で金城は落ち着いていた。

「しっかりインコースを突けば打ち取れるとチームで話していたし、ナインが守ってくれると言ってくれた。ストライクを投げて打たせようと思っていました」

 攻めの投球に徹した結果、死球などで満塁のピンチを作るも、最後は遊ゴロに打ち取ってゲームセット。

「まさか勝てるとは思っていなかった」と多賀監督は驚きを隠さないが、3年生と2年生のお互いの信頼がつないだ継投策で金星をつかみとった。

 17年前の「三本の矢」の再現、いや、近江にはほかに2人の投手がいる。「四本の矢」「五本の矢」への進化が、ふたたびの快進撃を見せてくれるかもしれない。

■チーム「三本の矢」の誕生

 2001年の第83回、県勢初の決勝進出を果たした近江を支えたのは継投策だった。竹内和也、島脇信也の二枚看板に加え、右横手投げの清水信之介は「三本の矢」と評され、準々決勝の光星学院(八戸学院光星)戦を除く全試合で3人による継投で戦い抜いた。この年、滋賀県のヒーローは3人だったわけだ。

 性格も違えば、役割も違う、球筋はもちろん、球速も違う。が、3人の個性をひとりの投手と見れば、それは「怪物」のような投手になる。

 決勝進出をかけて伝統校の松山商とぶつかった準決勝では、まさに「三本の矢」が光った。前半を2失点に抑える投手陣に打線が応えて逆転。ホームを狙う走者のヘルメットに送球が当たる幸運もあった。予定通りの継投にプラスして、この試合では島脇が再びマウンドへ。「4人分の個性」を発揮して、決勝進出を決めた。

(「完全保存版夏の甲子園100回 故郷のヒーロー」より抜粋)

※週刊朝日オリジナル限定記事 (秦正理、緒方麦)

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