ちなみに「Iさんはあまりに真面目で、すこし『鈍くさい』ので麻原も一連の事件では使わなかったみたいですよ」とも教えてくれた。教団幹部で彼が起訴されなかった理由なのだろう。このあたり、麻原(教団元代表の松本智津夫元死刑囚)は人をよく見ている。
そして、刑事らは帰り際に「先生が無理やり連れて行かれなかった理由がよくわかります」と言った。おそらくそれは「リアリティー」だと思う。私は、受験の世界ではエリートだったかもしれないが、剣道の世界では三流だった。挫折し、コンプレックスを抱いていた。オウムのいうことは、剣の修行についてはしょせんきれいごとだった。チベット密教の権威を持ち出されても、絶対に受けいれられない話だった。
エリートは権威に弱い。権威の名前を出されると、そのことを知らない自分の無知をさらけ出すのが恥ずかしく思い、迎合しようとする。決して「わからない」とは言わない。私を含め当時の東京大学の学生が、オウム真理教に引きずられていたのは、このような背景があるのではなかろうか。挫折を知らない、真面目で優秀な学生だからこそ、引き込まれる。
あれから23年が経過して、事件は大きな節目を迎えた。だが、当時の受験エリートたちに欠けていたものを、今の社会は埋めることができているだろうか。ネット社会になって、ますますリアリティーがなくなっていると私は感じる。ますます、カルトへの免疫がなくなる、と危惧している。
※週刊朝日オンライン限定記事