カウンターに出ようとは、夢にも思わない。

 そんなわたしが、つまり自分がカウンターに出ることなど想像もできなかった人間が、カウンターを食らった人間を非難などできるはずがない。あの場面でカウンターに気をつけるべきだったと言えるのは、あの場面でカウンターをイメージすることのできる人間だけである。

 極論してしまえば、イタリア人だけである。だからイタリアの守備は天下一品で、だからイタリアのサッカーはつまらないと言われるのだ。

「あの場面をしのいでいても、結局はベルギーに逆転されたのでは」と自嘲する人もいる。わたしの考えは違う。

 なぜベルギーは、あの状況でカウンターを放つことができたのだろうか。ボールは彼らが保持している。GKクルトワが試合の流れを止めていれば、主審がタイムアップの笛を吹いていた可能性は高い。

 だが、彼は素早く味方にフィードし、フィールドプレーヤーたちの大半はそこに素早く反応した。それまでスプリントでは日本に劣勢を強いられていた彼らが、まるで持てる力のすべてを出し切らんとするかのように、前線へ向けて突進したのである。

 彼らは、延長戦に入るのがイヤだったのではないか。

 自分たちの優位性を確信しているのであれば、あの場面で慌てる必要はまったくない。もう一度息を整え、じっくりと格下の相手を料理すればいい。ロシアを相手に大苦戦を強いられ、結果的にPK戦で姿を消したスペインが、少なくとも90分の段階では慌てていなかったように、である。

 ところが、カウンターに入ったベルギーの選手たちには、まるで1点差を追う者たちのような迫力と悲壮感があった。

 2点のリードを追いつかれたのだから、当然、日本選手が受けていたショックは小さいものではない。だが、2点のビハインドを取り戻すのも簡単なことではない。何しろ0-2からの逆転は、W杯決勝トーナメントでは1970年大会準々決勝の西ドイツ対イングランド以来、48年間も起こっていなかったのである。赤い悪魔たちが挑まなければならなかったのは、ほとんどクリアが不可能な試練であり、それゆえ、追いついた瞬間に込み上げてきた安堵感や疲労は、途轍もないものがあったに違いない。

暮らしとモノ班 for promotion
大谷翔平選手の好感度の高さに企業もメロメロ!どんな企業と契約している?
次のページ