小遊三「万事、飲み込んだような余裕のある奥さま。いると安心させてくれる。最初に会った時、(女優の)草笛光子に似ていると思いましたね。スタイルが良くて美人で」
米助「そのくらいいい女だった」
昇太「私は夫婦のことはわからない(笑)。ほんとに控えめな奥さんで、素敵な方なんですよ。歌丸師匠の叙勲のパーティでお会いしたことがあるくらい。最初は誰だかわからなかった。一門ではないし、普段お会いしてないので」
──みなさんはきのう、歌丸師匠とご対面しているわけですが、どんな言葉をかけましたか。
米助「僕は、ほんとに下っ端の時から公私に渡って、歌丸師匠が面倒を見てくれた。『師匠ありがとうございました』しかない」
小遊三「最後の死に物狂いの努力を僕らはイヤというほど見せつけられているので、『ああ楽になりましたでしょうね』という言葉」
昇太「僕はまだお会いはしてませんけど、小遊三師匠がおっしゃったように、直接指導されたわけではないんですが、歌丸師匠の高座の姿勢を見せていただいてありがたかったと思います。かっこよくて素敵な師匠でした」
歌春「歌丸はとても意志が強く、そして運も強くて、芯も強い人。ですから、苦しい時でも見舞い客に対しては苦しいとか痛いと言うことはめったになかったんですが、さすがに危篤を過ぎて、意識が回復して、医師やおかみさんたちだけになると、『苦しい、楽にしてくれ』ということを言っていた。そのときに、『ダメですよ、お客さんが待ってますから、がんばりましょう』と言ったんです。『楽にしてくれ』という言葉がとても辛かったですね。ほんとに苦しい時に安楽死という言葉があるんだろうなと思いました。それを乗り越えて生き返り、何度も何度も奇跡を起こした。最後まで呼吸器を付けていた。鼻の頭がすりむけていて痛がっていた。全部から開放されて『師匠おつかれ様でした』と言いました」
──81歳でしたが、落語にかけた人生をどう感じているか。