私が出演した小津監督の作品は、「東京物語」だけなんです。その頃、私は21歳でした。
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小津監督とは、撮影に入る前に(撮影所のある)大船でお話をしました。面接みたいな感じだったんです。監督さんには「あなたは笑いすぎる」と言われました。それを聞いて、写真を撮るときに「笑ってください」と言われるから笑ってたんだけど……と内心思いました。そんな私に監督さんは「人間はね、哀しいから笑うこともある」とおっしゃって、感情というのはとても複雑なんだというお話をして下さいました。
私が演じた京子という役は、小学校の先生。年齢的にもタイプ的にもあまり無理がなかったので、そのまま自然に演じることができました。何度もテストを繰り返すといったことはなかったと思います。
でも方言について厳しく指導されたことを覚えています。テープを渡されて、それを一生懸命聞きました。小津監督は楽器も演奏され耳がいいので、方言の半音の上がったり下がったりするところにとても敏感でいらしたんです。
撮影は尾道でのロケから始まりました。当時の映画作りはロケから入るんです。一緒に寝泊まりすることで皆仲良くなれるという狙いがあったんじゃないでしょうか。
実は私にとっては、小津作品に出演できたことより、大ファンだった原節子さんと共演できるということの方が大きかったんです。監督さんには申し訳ないんですけど(笑)。
原さんの人気はものすごくて、尾道にいらっしゃる日には尾道駅に人が殺到。ちょっと危ないというので、ひとつ先の駅まで行ってそこから自動車で旅館の裏口に向かったそうです。私、旅館の部屋が原さんのお隣だったものですから、ちょこちょこと行っては世間話を。一緒にいられるのが嬉しかったですねえ。
尾道ロケは1週間くらいだったでしょうか。あとの撮影は全部、大船のセットです。
セットに入ると、カメラが低い位置に収まっていました。他の監督さんのカメラよりもずっと低かったですね。でもそれで落ち着かないといった感じはしませんでした。