42年前、夫・工藤恭孝さんの経営者人生は、神戸・三宮の一軒の書店から始まった。阪神・淡路大震災を経て、ジュンク堂書店(現・丸善ジュンク堂書店)は大型店の全国展開を成し遂げ、昨年秋に第一線から退いた。妻・泰子さんは運転手兼秘書として、24時間365日、夫に伴走。二人三脚の夫婦の軌跡を振り返った。
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夫:社名の由来は親父の名前です。工藤淳を逆さまにしてジュンク堂と名付けた。26歳で1号店を出し、(妻と)出会ったときもまだ20代後半でした。
妻:私は学生で。ジュンク堂で友人らがアルバイトをしていたんです。
夫:グループでキャンプに行ったり、テニスをしたり。
妻:決め手は、スキーでした。すごくうまいんですよ。私はほぼ初心者だから、転ぶでしょ。そうすると、さっと起こしに来てくれて。
夫:あのころは若かったから。あなたも天真爛漫だったね。
妻:でもね、街で会ったらびっくり。ゲレンデではかっこよく見えたのに、別人かと。地味なスーツを着ていて、本当に誰かわからなかった。
夫:会社では、髪形は七三分けで、必ずスーツを着ていました。当時は書店の店主といったら60歳を超えている人ばかり。20代なんて青二才ですから、なめられないように“老けづくり”してたんです。
妻:私が短大を卒業すると同時に結婚しました。実家は厳しかったので、これで自由になれると思ったけど、結婚してからは主人に「こうしたほうがいい」「ああしなさい」と言われてます。なんだか保護者が代わっただけみたい(笑)。
――1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生。店舗も甚大な被害を受けた。そのまま閉店してもおかしくない状況だったが、がれきの街で再起を決意。わずか2週間で営業を再開した。
妻:地震があった日の前日まで夫婦で香港に旅行に行っていたんです。3人の子どもたちは私の実家に預けて。帰ってきたのは夜の9時半くらいだったかしら。
夫:満月がものすごくでかくて、オレンジ色で。なんか変な月やな、と思ったのをよく覚えてますね。遅くなったけど、これ以上子どもたちを預けるのはかわいそうで、夜のうちに家に連れて帰ったんです。