が、事態は思わぬ方向に暗転する。原水協に影響力をもつ共産党が、吉田さんを「独断専行があり、原水禁・総評に屈服、追随した」と批判、原水協が吉田さんを代表理事から解任したからである。組織的な統一に応じない原水禁や安保・自衛隊を容認する社会党・総評との共闘はまかりならんというわけだ。84年のことである。原水禁と市民団体がこれに反発、原水禁運動は再び分裂し、今もその状態が続く。

 この時、運動家として岐路に立たされた吉田さんは、相手に屈服したり妥協の道をさぐったりすることなく、敢然と「核兵器をなくすには、広範な人々が加わる運動の構築が必要で、それには思想・信条が違っても手を結ぶべきだ」「それに、民衆は運動の分裂など望んでいない。常に統一を求めている」との自説を貫いた。

 原水協を追われた吉田さんはその後、志を同じくする人たちと草の根の平和運動を目指す「平和事務所」を設立、チェルノブイリ原発事故で被ばくしたエストニアの人たちの救援運動などを続けた。

 米ロがまた核軍拡に向かいつつある。北朝鮮の動向も不透明だ。それだけに、原水禁運動の新たな高揚が求められている。「反核のためには手を結ぼう」という吉田さんの終生の訴えに今こそ耳を傾ける時ではないか。(元朝日新聞編集委員・岩垂弘)

週刊朝日 週刊朝日2018年4月13日号

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