戦後日本映画を象徴する2大スターの石原裕次郎と三船敏郎が製作主演した「黒部の太陽」(1968年)の初上映から半世紀。「石原裕次郎シアターDVDコレクション」(小社刊)20号として4月に発売されるのを機に、「裕次郎映画の最高傑作」とも評される作品の魅力に娯楽映画研究家の佐藤利明氏が迫る。
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北アルプスで行われた世紀の大工事「黒部第四ダム建設」(56~63年)を映像化した「黒部の太陽」は、史上最高の超大作として映画史に輝いている。
「特撮ではその迫力は出ない」。陣頭指揮に立った裕次郎は、全て本物での再現にこだわった。黒四ダム建設で最大の難関は、関電トンネル5.4キロの掘削だった。そのなかでも「破砕帯」との格闘は、想像を絶する困難を極めた。少し掘削するだけで出水してトンネルは水浸し、掘れば掘るほど前進できないのだ。「黒部の太陽」はこの破砕帯突破に挑む男たちの戦いの物語である。
映画前半のクライマックス。破砕帯に遭遇し、大量の水がトンネルにあふれ出す。裕次郎や三船たち俳優が、一瞬にしてのみ込まれ流されていく。トンネルの切羽の木材が崩れ、丸太や花崗岩(かこうがん)の破片が濁流となり一緒に流れてくるのだ。俳優たちの必死の表情の迫力は、まさに本物。このすごさ! 実写ならではの“映画のチカラ”に感動を覚える。
この出水シーンを撮影するためのトンネル・セットは、愛知県豊川市の熊谷組機械工場敷地内に組まれた。同社には、当時の工事関係者が多数勤務していて、裕次郎たちによる世紀の難工事再現のために全面協力を申し出た。
67年9月30日17時、裕次郎と三船がセットに入り、リハーサルが始まった。
全長210メートルのトンネル・セットに、高さ9メートル、円柱型の420トンの水の入った水槽が組まれている。しかも花崗岩の削岩時の石の破片を一斉に落とすのだ。
その日の昼ごろ、三船扮する北川のモデル・芳賀公介氏が、熊井啓監督に「この装置では危険」と進言。頑丈とはいえ、セットのトンネルが水圧に耐えられるか気になったのだ。また実際の関電トンネルの破砕帯を突破した、裕次郎扮する岩岡のモデル・笹島信義氏が撮影の直前、「変な予感がするから、トンネルのなかへ塩をまいて清めたほうがいい」と熊井に提案した。