大林宣彦(おおばやし・のぶひこ)/1938年、広島県生まれ。77年、「HOUSE/ハウス」で商業監督デビュー。「転校生」を始めとする尾道3部作ほか代表作多数(撮影/写真部・岸本絢)
大林宣彦(おおばやし・のぶひこ)/1938年、広島県生まれ。77年、「HOUSE/ハウス」で商業監督デビュー。「転校生」を始めとする尾道3部作ほか代表作多数(撮影/写真部・岸本絢)
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 没後20年――今なお映画界に影響を与える黒澤明さん。全30作品を完全網羅した「黒澤明DVDコレクション」(小社刊)創刊を機に、映画ライターの坂口さゆりさんが映画監督・大林宣彦さんをインタビュー。メイキング撮影を依頼されるほどの信頼を得た大林さんが見た黒澤さんの素顔とは。

*  *  *

 僕は黒澤映画をデビュー作から映画館の封切りで見てきた最後の世代です。最初の「姿三四郎」は1カット1カット全て記憶してます。5歳でしたが、当時の日本の現代劇と言えば、戦意高揚映画。そんな時に見た「姿三四郎」は「現代劇でもこんな映画ができるのか」と、軍国少年でしたから、より自由に感じたんですね。映画とはそもそも大うそつきです。しかし、そのうその力で世の中の権力志向、即ち上から目線などが虚実の狭間でひっくり返って見えてくる。それを教えてくれたのが黒澤さんの映画です。

――1989年、黒澤明監督のCMの演出に指名された。初めて黒澤監督がサングラスを外したCMでもある。

 そのころ日本の映画界で黒澤さんは疎まれていたんです。黒さんだけでなく戦前派の監督たちはみんな。それで黒さんは、「日本人のためにはもう映画を作らん」と濃いサングラスをかけた。そんな時に僕の「さびしんぼう」をテレビで見て気に入ってくださったそうです。当時、黒さんは80歳近く。普通なら孫をひざの上にのせコタツに入っている爺様です。そういう映画を撮りたいからサングラスを外そうとされた。つまり巨匠のイメージを捨てようとね。しかし、顔を見せたくないのも事実。誰か信頼のできる後輩の監督が「用意、スタート」と声を掛けてくれれば素直にサングラスを取れるかもしれないと。それで僕にCMの監督をやってほしいと依頼されました。

――CMはNECの当時の最先端のデジタル機器だった。

 バレエのレッスン教室の天井に大きな穴が開いていて、雨がダーッと降っているというセットを作ったんです。僕のイメージでは、タルコフスキー監督の友情へのオマージュでしたが、入っていらした黒澤さんは、「借金だらけの監督にぴったりのセットですね」と。そう言って笑いながら、「でも、タルコフスキー君もこういうセットは好きだよな」って目配せしてくれた。つまり、僕のことをよく知っていてくれたなと。撮影は一発OKでした。

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