黒さんは僕が一番いい場所で一番いい記録をしてくれることを望んでいました。死んだ軍人たちがたくさん出てくる「トンネル」のシークエンスでも、「大林君、あそこがいいんじゃない?」って指さした先はキャメラの真正面。「いくら何でも」と言うと、「君ならわかると思うけど、あそこはキャメラのフレームには入ってないよな」って。行ってみると、スタッフ200人全員がこっちを向いて俳優さんは僕の足の下にいる。黒さんは自分が一番よく映るところに椅子を持ってきて座った。つまり僕が良い絵を撮れるようにという配慮ですね。
――無事に撮影が完了。兵士役一人ひとりと握手し、トンネルから出てきた監督を撮り続けた。
よろよろやってきた黒さんをアップで撮るとべそをかいている。フーッとしゃがみ、「大林君、俺は今日撮れないと思っていたよ。でも、撮れたんだよ、撮れたんだよ」と涙をぽろぽろこぼしながら言われました。実はこのシーン、天候が悪くて1週間くらい撮れなかったんです。その上に朝は雪に見舞われた。黒澤さんは娘さんに言ったそうです。「雪が解ける来年の春まで待つと、その命は俺にはもうないね」と。ガックリきて諦めた途端、一つの声が浮かんできたと言います。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」。学生のころに読んでいた川端康成の一節です。それで、「雪を撮ろう!」と変更して撮影ができた。
黒さんは「映画というのは記憶である。人生すべての記憶が自分に映画を作らせてくれるんだ。それは神のご意思」。そう言いながらぽろぽろと泣いてらした。いいものを見せてもらったと思いました。黒澤さんほど繊細でナーバス、優しい監督はいない。僕はそう思っています。
※週刊朝日 2018年2月2日号