夫は、史上最速(当時)の8戦目で世界王者となった天才ボクサー、辰吉丈一郎さん。眼疾からの復活、2度の王座返り咲きなど伝説を積み重ねてボクシング界のカリスマとなった。そんな夫を鼓舞し続けた妻のるみさんは、四つ年上の姉さん女房。出会いは夫17歳、妻21歳の時にさかのぼる。
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妻:最初にジムに来た時から、ほんまに人なつっこいなって。いきなり「自分は岡山から出てきて、田舎に父ちゃんがいる」と話しだして。しかも、その身の上話がなかなか濃いし。
夫:しゃべる相手がおらんかっただけ。るみは、トレーナーになりたいと聞いてたけど、掃除するわけでもないし。グローブくらいは拭いてたかな。
妻:他にも話し相手はおったやん、トレーナーも練習生も。私が若い女の子やったからやろ。掃除もしてたって。見てないなあ、あんたは。
――夫は、男手一つで自分を育ててくれた父のためにすぐプロになり、稼ぎたかった。しかし、五輪で金メダルを狙わせたい所属ジムとの方針が合わずに、やけになって飛び出した。公園で寝泊まりするような生活を経て、転がり込んだアマチュアジムに妻がいた。
夫:何もしてない時にも、るみは働けとかボクシングせいとか一切言わんかった。で、「身分証明になるから運転免許とったら?」って。考えられへん。家もなかったのに。でも、免許とるにはお金がないから仕事せなあかん。住民票もいる、となる。いつもこっちが想像せんこと、るみは言うんやけど、結果的に(環境が整って)それは必要やったんかなって。
妻:「世界チャンピオンになる」って言ってから、根拠はないけど信じてた。あとはやるかやらへんか。
――所属先へ戻り、初の世界挑戦が決まったころ、妻は妊娠。妻の父は「順番が違う」と結婚に猛反対し、夫は三日三晩説得した。
夫:順番が違うことは平謝り。でも、認めてって。店(妻の実家が経営する喫茶店「白千館」)が開く朝6時に来て、夜の12時まで3日間ずっと。おやすみって帰って、飯食って2時間くらい寝て、また朝6時に行く。3日目にお義父さんは、「勝手にせい」って。
妻:うちのお父ちゃんは「これから世界チャンピオンになるんやろ?」と、娘をジョーちゃんの足かせにしたくない思いもあったと思う。
――ボクサーに「女は厳禁」の時代。現役ボクサー、しかも期待のホープが結婚することは非常に珍しかったのだ。