ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「○○ロス」を取り上げる。
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気付けば世の中『ロス』だらけ。「ロスと言ったらロス・プリモス(ラブユー東京)で決まり!」という団塊世代も多いでしょう。私なんかは、『ロス疑惑』しか思い浮かばない劇場型バブル世代ですが、今は日常に存在する当たり前な何かが終わった時の喪失感を『〇〇ロス』と呼ぶようです。数年前、朝ドラ『あまちゃん』の最終回後に発生したとされる『あまロス』を機に、『笑っていいとも!』終了による『タモロス』、福山雅治さんが結婚した際には『ましゃロス』、ディーン・フジオカさんが劇中死を遂げれば、その役名をもじって『五代ロス』など、この国は『ロス多発国家』として、日々誰かが何かを失い打ちひしがれているという事態が続いています。
確かに、定年退職した途端に親が老け込んだとか、失恋やペットの死をなかなか乗り越えられないとか、ルーティン化した日常の変化に対応するのは難しいものです。それにしても、ここまでロスが日常化してしまっている背景には、昔に比べて人や物に対する瞬発的な思い入れが激しくなる一方で、何かに依存している自分への抵抗は少なくなってきているという、現代人特有の自己正当力があるのかもしれません。「だって私は悲しいんだもん! 寂しいんだもん!」とのべつ幕なしに主張できる世の中。自己正当力が上がれば、当然のごとく忍耐力や適応力は低下します。よって多発するロス。ザ・悪循環。
ならばロスにも忍耐性を! 『バイキング』で吠える坂上忍さんの向こうに、週に一度はタモリさんの面影を。東日本の人たちは、コンビニでスナック菓子を選ぶ度に、そこにいたはずのカールおじさんを偲びましょう。私なんていまだに、28年前に終わった『ザ・ベストテン』を録画したVHSを月に3度は観返し、飼っていた熱帯魚たちの亡骸を冷凍庫の小部屋で霊安しています。
発散性のないロスは、いつか執念や意地になる。来月には、想いを寄せていた男の結婚パーティの司会だってしちゃうんですから!
※週刊朝日 2017年9月15日号