夫:僕が極端なことを言っても、志乃はうなずいてくれるんですよ。ほかの人に言うとケンカになっちゃうけど。
妻:中尾さんの話を聞いて「なに、この人!」となる人もいると思うんです。でも、私は無理してうなずいてるわけじゃない。その発言をする彼の内側がわかるから、私ができるだけフォローすればいいかなと。
夫:この年になったら、自分の発言には自分が責任を取ればいい。バッシングされたら、やめればいい。こびてまで仕事はしたくない。
妻:その覚悟があればそれでいい、と思います。
――2006年と07年に、相次いで転機が訪れた。最初は妻の病気だった。
妻:私は90年代後半から、借金も返し終わったし、ちょっと疲れたので女優をお休みして、書評を書いたり、沖縄で現地のミュージシャンをプロデュースする事務所をつくったりしていたんです。そのときにフィッシャー症候群で倒れた。ウイルス性の疾患で、手足が利かなくなって、だんだんまひしてきちゃって。
夫:僕は東京で仕事中で、翌日すぐに沖縄に行った。
妻:一度まひしちゃうとリハビリしないと立てなくて、1カ月半くらいリハビリをしました。いまは回復して問題ないんです。ただあのときは、少し前に、一緒に住んでいた母ががんで倒れて小康状態だったんです。
夫:それでも沖縄の志乃の病院まで来てくれて。
妻:1週間くらい私を看病してくれたんです。でもその後、羽田から病院に直行で、5日後に亡くなってしまった。
夫:続いて、今度は僕が肺炎で倒れた。
妻:中尾さんも精神的に疲れがたまっていたんだと思う。
夫:肺炎は痛くも痒(かゆ)くもなかったんだけど、そのあとにほかの臓器が悪くなる「横紋筋融解症(おうもんきんゆうかいしょう)」になって、2カ月入院した。それからたばこもやめて毎月、病院に採血と心電図を取りに行っている。医者が大嫌いだったのが、大好きになった。
妻:このことがあって「人間って、倒れるんだねえ」って思った。いろいろ考え方が変わりました。