●気持ちだけではどうにもならない

 いやー、これまた難しいテーマです。

 会社員だったころの私なら、口元にうっすらと微笑を浮かべつつ、つとめてつとめて鷹揚に、

「いやー、ジャズをわかるわからないはCDの枚数じゃないですよ。ジャズをわかりたい、という気持ちが何よりも大事です。必要なのは情熱です、じ・ょ・う・ね・つ。これがあれば大丈夫。それでは蒸し暑い毎日ですが体に気をつけてがんばってくださいね」

 と当たり障りなく済ませていたかもしれませんが、それではラチなどあきもしません。

 30数年のジャズ・リスナー生活、16年のジャズ雑誌編集者生活、19年のジャズ業界生活をかけて、大きく行かせていただきます。エッヘン。

「ジャズをわかるには、最低300枚から」。

 あー気持ちよかった。これが言いたかったんだよ、お母ちゃん。

●ジャズの快楽は300枚から始まる

 その前に「ジャズがわかる」とはどういう状態なのか、を、私なりにまとめてみましょう。

(イ)ジャズ100年の流れを大まかにでも把握できている
(ロ)いろんな演奏スタイルの特徴が判断できる
(ハ)各楽器の聴きわけがつく(テナー・サックスとアルト・サックスの違いもわかる)
(ニ)ドラムに合わせてリズムがとれる(ジャズの“ノリ”が体にしみこんでいる)
(ホ)アドリブの面白さや法則性に気づいている
(ヘ)各ミュージシャンの語り口(クセ)がつかめる

 このあたりがとりあえず「ジャズがわかっている状態」の最大公約数であるということにして話を進めましょう。イ)からヘ)を曲りなりにでもモノにするには、どう考えても300枚ぐらいはジャズのCD(私の年代はアナログ・レコードでした)を聴きつぶす必要があるのではないか。私は経験上、強くそう思います。

 無論たくさんのCDを聴いてだけいれば自然に「ジャズがわかる」ようになるわけではありません。「ジャズ友」をつくるのも素敵なことですし、ライヴに足を運ぶのも、楽器をいじってみるのも、魅力的なジャズへのアクセス方法といえましょう。ですが、自分よりジャズに詳しい誰かとジャズにまつわる会話を一定時間成立させようとするならば、やはり300枚ぐらい聴きこんでおかないと、実りあるひとときを過ごすのは難しいのではないでしょうか。

 さんびゃくまい。ちょっとジャズ・ファンを自認する方であれば、「そのくらいの数は持ってるよ」とおっしゃるかもしれません。とはいえ、たとえばビル・エヴァンスのアルバム300枚を集めたところで、ビル・エヴァンス・コレクターにはなれるかもしれませんが、それがイコール「ジャズがわかる」状態であるかどうかは、別に私が言うまでもないですよね。エヴァンスのアルバムがこの世に何枚あるか、あいにく存じあげておりませんが、もし300枚あったなら、大体250枚ぐらいはエディ・ゴメスがベースでしょうし、そうなるとゴメスの特徴は把握できるようになるかもしれませんが、それがイコール(以下、限りなく繰り返し)。

 また、世の中には、おいそれと「リズムのとれない」ジャズも、ベースをギターのように弾くひと、サックスをトランペットのように吹くひとなど、「楽器の聴き分けの難しい」ミュージシャンも存在します。さらにジャズの中には「フリー・ジャズ」と呼ばれる、楽しむには非常な探究心を必要とする分野もあります。

 何の因果か私はフリー・ジャズが大好きなのですが、最初は馴染むのに時間がかかりました。私の育った北海道旭川市には、そもそもジャズのレコードそのものがあまり売られていませんでしたし、ラジオでフリー・ジャズが流れるわけもありません。だから私はまず、文字からフリー・ジャズに入門せざるを得なかったのですが、どういうわけか、フリー・ジャズについて書かれた文章は、むちゃくちゃ難解なのです。最初は自分が勉強不足ゆえ、評論家センセの詩的な文章が理解できないのかなと思っておりましたけれど、私もいつまでもお人良しではありません。このひとがた(鬼籍に入られた方も多いですが)のせいで、私はかなり長い間「フリー・ジャズは難解で、陰気な音楽」と誤解しておりました。当時のジャーナリズムは、フリー・ジャズ専門の評論家の方に、一度でもいいからルイ・アームストロングやカウント・ベイシーに関する文章を書かせてほしかったものだと今さらのように思います。

 どんなに手の込んだレトリックを駆使したところで、からっきしスイングできないのなら、それは「ソーウ」、「セーニ」でしかないのですから…。

(以下つづく)