帰りに、石原さんが着ていた洋服をずいぶんいただきました。替え上着、スーツ、セーター、コートなど。身長はほぼ同じで、サイズはピッタリでした。
裕次郎さんと私は誕生日が同じ、12月の28日です。暮れから毎年ハワイに行くので、28日はレストランで誕生食事会をしていただきました。裕次郎さんという人はおおらかで、余裕があって、そしてやさしい。いつも自然体で、無理なくおだやかで。だからいっしょにいて心地よい人でした。人間の大きさを私はいつも感じていました。
──裕次郎さんには酒にまつわる話がたくさんありますね。
酒にはほんとに目がなかったですね(笑)。
「富士山頂」(70年封切り)の御殿場ロケのときです。食事が終わって、部屋に戻って台詞を覚えていました。隣が石原さんの部屋でした。足音がしたのでスタンドの電気を消して、寝たふりをしていました。しばらくしたら私の部屋をうかがってるんです。ドアをソーッと開けて入ってきて、枕元にあったタバコを取って吸いはじめた。「あっ、社長、どうしたんですか」ってとぼけたふりをしました。「哲よ、まだ飲み足りねえんだ。酒ねえかな」。それで仕方なく旅館の調理場に行って探すと、布が巻いてある瓶があった。お客さんの残りをためておいて料理に使う酒です。その瓶と冷蔵庫にあったニンニクとバターをもって部屋に戻りました。
石油ストーブのヤカンをのせる台にバターを引いて、ニンニクを焼いて、裕次郎さんはそのニンニクをつまみに燗冷ましを飲まれました。それぐらいお酒が好きだったんですね。
夜中の1時過ぎですよ。「いや、哲、悪かったな」って、あの笑顔でやられたら憎めない。まるで少年のようでした。
──石原プロが経営危機のとき何度か裕次郎さんに会われたそうですね。
映画製作の失敗で何億もの借金を抱えて石原プロがつぶれるんじゃないかといううわさが流れたとき、お宅にうかがったことがあります。普通なら落ち込んでいるはずなのに裕次郎さんは映画の話を熱く語るんです。構想があったのか、アフリカロケの話になって、「こっちにマンジが望遠のカメラをかまえている」と話しだした。マンジというのは金宇満司(かなうみつじ)さんというカメラマンで、「黒部の太陽」など裕次郎さんに関する映画、テレビはぜんぶやってきた撮影のプロです。「サバンナの向こうから人影が歩いてくる。ズン、ズン、ズン、ズン。マンジがグーッと寄ってきた。それが俺なんだよ。で、そこへタイトルバックが出る」。映画の話をしだすと、石原さんは止まらない。